|
最終日。パリ到着の時に、タクシーに乗り切らなかったふたつの巨大トランクのなかに、本や、「モラ」で買った道具を詰め込む。
中になんとかいれたが、持とうとしても持ちあがらない。
「これじゃ重過ぎるよ。本を別便で送らない?」
「大丈夫だよ。これくらい。」
「もし荷物が重量オーバーだったら、困るやん。」
「そしたらリュックに全部いれて、手荷物にすればいいべ。」
「送った方がいいと思うけどなー。」
人生あまり振り返らないワタシではあるが、このときの会話を思い出すと、どうしてもっと強く、本を送るように説得しなかったのか…と後悔しきりである。
だが、そのときはまだ、あんなことになろうとは夢にも思っていなかったのである。
ホテルをチェックアウトし、おそろしく重いトランクをホテルに預けて、ワタシたちは外に出た。
17区のショコラティエに出かけたのだ。
まえに、イルプルで使っているチョコレートの、ペック社の社長さんが来日して、講演なさったとき、少しお話しして、社長おすすめのパリのチョコレート屋さんを聞いておいたのだ。
チョコレートは奥が深い。特にフランスでのチョコレート文化は、日本の和菓子文化に匹敵する。チョコレート屋がたくさんあるし、名店と呼ばれるチョコレート屋は本当に高価な宝石と見まがうばかりの芸術品である。
チョコレートといっても原産地によって味が違うし、品種によっても当然異なる。製造する会社によっても特徴がそれぞれ違ってくるし、職人さんたちは自分のオリジナル作品を競い合って作り、しのぎをけずる。
ワタシは、誰もが知っている名店のチョコレート屋さんではなく、街のそこここにあるようなお店で、職人さんが真摯に作っているチョコレートが食べてみたかった。
「オ・ボンボン・ロワイヤル」は、そんなワタシの希望にぴったりくる、街の小さなショコラティエだ。
お店のおねえさんに、「写真とっていいですか?」と、パパが聞くと、
「じゃ、笑わなきゃね!」と、本当にいい笑顔を向けてくれた。
「東京から来た?何時間かかるの?来週からしばらくの間、改装工事するから、今日来てくれてよかったわ。」と、楽しいおしゃべりが続く。
 |
 |
お店の社長さん兼職人さんの、まゆ毛が立派なおじさんも出てきて、
「工事して、もっときれいにするんだよ。」と、うれしそうに設計図まで見せてくれた。
チョコレートも味見させてくれて、「ペックのチョコレート使っているんだよ。」と、ワタシはシナモンのはいったボンボンショコラ、パパはピスタチオのショコラをもらい、「帰りに、飛行機のなかで食べなさい。」と、さらに一枚、チョコレートをもらった。
チョコレートの味はあまり仰々しくなく、すっとはいってくる感じの味で、舌の上で溶けてからシナモンの風味がふわりと残った。
「おいしーい!」パパと顔を見合わせてこう言うと、おじさんは満足そうに首を小さく縦にふっていた。
「今度来るときはもっときれいになってるから、絶対来てね!」と、手を振るふたりと別れ、再びメトロに乗り、サン・ラザール駅へ。
このサン・ラザール駅で両替をしようと思ったのだ。が、両替所がない。 「大きな駅なのに〜」とブツブツ言いながら歩いていると、やっとあった両替所。 聞くと、死ぬほど手数料が高い! 「信じられない!」を連発しながら、両替終了。この辺からだんだん雲行きが怪しくなってきていた。
そして、パリの上の方、モンマルトルの裏側にある「ペシェ・ミニヨン」に向かう。
メトロを降り、地図をみながらたどり着いたそこは張り紙がしてあり、引っ越したとのこと。
ちょっとショックを受けていたら、かわいい日本人のパティシエらしき女の子が出てきて、「少し先に、店名も変えてやってるんで、行ってみてください。」と教えてくれた。
名店で、日本人の女の子ががんばってるのを見てちょっとうれしくなる。
だがその喜びも、金毘羅さまの階段ぐらいある階段のまえでシュシュシューと音を立ててしぼんでいった。
なんとか心臓破りの階段を登り終え、もと「ペシェ・ミニヨン」、今「アルノー・ラーエル」へ。
おいしそうな生菓子がたくさん並んでいたが、買ってももう食べられない悲しさ。それでも、プルーンのタルト、タルトクエッチとアーモンド、ピスタチオ、ヘーゼルナッツのクリームを絞って粉糖をふったシンプルな感じの焼き菓子を買った。
そしてその帰り、ついに事件は起こった。
メトロに乗り、マドレーヌ駅で乗り換えたそのときだ。
ワタシたちと一緒に車内に滑り込んできたマグレブ系の男の子たち4人のうちのひとりが、ワタシのデイパックにくっついてきたのだ。 「スリだ!」
ワタシは反射的に身をかわし、閉まっている方の扉に背中をくっつけ、誰もデイパックに触れないようにした。
するとその青年は、今度はパパの足元に向けて身を変な風にくねらせて近寄っていく。 「パパ!気をつけて!こいつらスリだよ!」
パパは慌てて、くねくねしている青年に向かって日本語で叫ぶ。 「なにやってんだ!離れろ!」
青年は、「カードを落としたんだよ。」とか言いながら、怪しい動きを止めない。
パパはほかの3人にも取り囲まれている!まわりの乗客も騒ぎ出した! 「なにやってんだ!」「やめろ!」「泥棒だ!」
大騒ぎだ!見ると、電車のドアはまだ閉まっていない。 「パパ!降りて!早く!」
ワタシは大声でそう叫びながらパパの手を強く引いて、電車のなかからひきずり降ろした。
電車のなかでは、誰かがまだ叫んでいる!
マグレブの青年たちが、電車から4人そろって降りてきた。
身構えるワタシたちに、そのなかのひとりが茶色いなにかを差し出している。
パパがそれを受け取ると、青年たちはさっと消えた。
電車のなかから、「あんたたち、早く乗りなさい!」と、ワタシたちを呼ぶ声がする。その声にうながされるまま、電車に乗り、そしてドアはしまり、 電車が走り出した。 「わからん。どー考えてもわからん。」 「なにがだよ。」 「なんであいつら、パパの財布、返したんだろう?」 そうなのだ。電車から降りてきた男がパパに渡したのは、パパのポケットから抜いた財布だったのだ。ワタシはあせって、 中身を確認するように言ったのだが、カードもお金もなくなっているものはなにもないという。
まったく、なんでパパみたいなお金を持ってない男をねらうのか、わけがわからない。おまけにパパときたら、 周囲がこんなに大騒ぎになっていたというのに、ぽよーんとして、 「今、ボクがスリにあいそうだったの?」と聞きだしかねないぐらいのおとぼけぶりだ。 「とにかく気をつけてよ。日本に帰るぎりぎりになってトラブルは困りますからね。」
と、ワタシはパパに警告したが、パパの受難はまだまだ終わっていなかったのだ。
とにかくパパとワタシは、最後の目的地バスティーユに着いた。
パリ生活最後の2年、ワタシたちは、バスティーユのそばに住んでいた。
パパのように、あちこち思い出を探して歩いたりするのは、あんまり気乗りがしないが、バスティーユはワタシの一番気に入っていた街だった。
ほどほどにしゃれた庶民的な町並み、ほどほどの都会感。活気溢れるマルシェが日曜にはあったし、映画館で毎晩のように映画を観た。
住んでいたアパートもなかなか趣のある建物で、苔むした石畳に被い茂る緑のアーチが美しかった。
アパートのまえでパパが写真を撮って、すぐ近くのパン屋さんに行く。
このパン屋さん「ロートル・ブーランジュ」は、ワタシが大好きだったパン屋さんだ。MOFのお店でもなければ、名店でもない。でも、みんなこの辺のひとは、ここのこだわりパンが大好きだ。
「よく、ここでタルトを買ったねー!」
店内にはいると、なつかしさがこみ上げてくる。
ワタシは、なつかしいアプリコットのタルト、ハート型のなかにピスタチオがごろごろはいっているガトーショコラ、クルミのパウンドケーキを買った。
支払いを済ませて、「さようなら」と店内をあとにする時、ちょっとパパみたいな気分でふりかえったが、お店のおばさんはもう別のお客の注文を聞いていた。
 |
 |
いよいよパリ最後の食事、近くの、2つ鍋のビストロ「シェ・ラミュロ」へ。
パパは砂肝のサラダと鴨のロースト。どうやら最後まで鴨バカを貫くつもりらしい。
ワタシはガルバンゾ豆のサラダと鶏のローストズッキーニ添え。
デザートはワタシがクエッチとゴマのオーモニエール。プルーンとゴマをパート・フィロで包み巾着状にして、カリカリに火を通したもの。パパは昨夜のクラフティが忘れられず、クラフティ。
ここの食事もとてもおいしかった。ただ塩と胡椒で味付けしただけの、素材そのもののおいしさを味わえる店が日本に何軒あるのだろう?
パリにはフランスには、そんな素晴らしいビストロがたくさんある、それだけで十分だ。 またいつか来る日もあるだろう…そう思えば幸せな気分になれるから。
このあと、夕方、ホテルへトランクを取りに帰り、ワタシたちはいよいよパリを後にした。飛行機の出発時間は、夜中の23時30分。
そしてここからがパパの真骨頂だ。
シャルル・ド・ゴール空港に着き、トランクをカートに乗せて、空港職員のおじさんに自分たちが乗る飛行機について尋ねていたら、
「あの…日本人ですか?」
と声をかけてくる、見るからに日本人ぽい男が1人。
「はあ。」と答えると、彼が、「スミマセン、助けてください!」と迫ってきた。
話を聞くと、彼は東京から着いたばかり、トランジットをしてミラノに行くつもりで、もう搭乗手続きも終わらせ、空港のカフェでコーヒーを飲んでいたらし
い。そして、デイパックを足の下に置いておいたのだが、いつのまにか、それをとられてしまったらしい。チケットもパスポートも全部なくした彼は、慌てて空
港の警察に届けたが「被害届を作らないといけないから、フランス語できるひと連れてきて。」と言われたらしい。
それで、あんま頼りにならん通訳だけど、パパはその不幸なにいちゃんとふたり、どっかに消えて行った。
そして約40分後、搭乗手続開始直前になって、パパが汗だくになって戻ってきた。
「一応やることは済ませたから…」と言ってたけど、ちょっと心配。そうこうしているうちに搭乗手続きがはじまった。
ここからが、この旅を締めくくる、パパ最大の難所となった。
まず1回目、ふたりのトランクが総重量60キロ近く、追加料金10何万円払えと言われ、パパは真っ青になって、空港の片隅でトランクを広げ、手持ちのリュックサックのなかに、荷物を片っ端から詰め込みはじめた。
そしてさんざん列を並んだやってきた2回目。ふたつあわせて47キロ。7キロオーバーでまた却下。
「だんだん、がっちりいれましょう、みたいになってきたね…」
パパは、もう言葉もなく、本や製菓道具と格闘している。
3回目…今度こそ…と思ったら、今度は免税手続きに行くため、航空チケットを取り出そうとしたワタシが、
「あれっ?!もしかしてチケット落としちゃったかも」と言い出した。
「へ?チケットがないの?」
パパは完全に目が泳いでいる。
「おっかしーなー。チケット持ってたのになー。またなくしちゃったのかなー。」
「またってあのね、冷静になってよ。冷静に。」
ワタシは、全然冷静にチケット落としたと報告してるのだ。舞い上がっているのはパパだ。
「と、とにかく並んで荷物を預けて、チケットがなくなったのを報告しなくては。」
パパは自分に言い聞かせつつ、汗だくで、再再度、長い長い列に並んだ。
今度荷物は41キロ。それでも、200フラン払え、と、エール・フランスのお姉さんはしれっと言う。
パパはがんばって、払いたくない、と言ってたけど、
「あのーそれより、ワタシのチケットは…」の妻の声にハッとなる。
「ス、スミマセン、妻がチケットを落としてしまいまして。」
もう気の毒で目もあてられない。パパにはとても申し訳なかったけど、ワタシは不謹慎にも吹き出しそうになった。
「チケットなくしちゃったんですか?困ったわね。どうするの?」
おねえさんは、言葉と裏腹で、どーでもよさそうに、それでも横にいた同僚のおばさんになにか言っていた。それからワタシにウインクして、
「あなたラッキーよ。」と言ってどこかに行ってしまった。少し待っていたら彼女が戻ってきて、「もうなくさないでね。
ひろってくれたひとがいましたよ。」と言ってワタシの名前のチケットを渡してくれた。
結局、パパは精も根も尽き果て、超過した1キロ分の200フランを払いった。
そして免税手続きに走っていったが、もう窓口は閉まっていた。
「どこだ!ちくしょう!」
インフォメーションで聞くと、直接、階下の到着ゲートのなかに反対に入って、手続きしろとのこと。
パパは荷物をカートに乗せて、ゲートに入ろうとした。すると、飛行機が到着したばかりだったらしく、乗客がたくさんそこから出てきていた。
「おい、おまえ、どこ行くんだ?そこから入っちゃイカン!」
出てきたフランス人にいっぱい怒られ、ヒンシュクを買いつつ、パパは「いや、あの、免税手続きをするんで…」と口ごもりつつ、
なんとかなかに押し入り、免税手続きなんとか終了。まさにボロボロ。満身創痍だ。
そして、いよいよ最後の難所が待っていた。
「ちょっと待って!」
手荷物検査のところで、パパは、ふとったこわそうなおばさんに呼びとめられる。
「中身を見せなさい!」「こわーい。」
パパはもうヘビににらまれたなんとか状態で、妙にテキパキとリュックの中身を取り出している。
「これはなに!」
怒った調子のおばさんが手にふりかざしたものは、ガーン!「モラ」で買った焼きゴテ2本。
「えっと…ですね…」パパもなにに使うか知らなくて、ワタシの顔を見ながらオタオタしている。
「焼きゴテです!」「そうです!」
「何に使うの!」
「えっとですね、ピュイ・ダムールのキャラメリゼ。お菓子の道具です。」
「ふーん…」
確かに、これをパパが機内で振り回したとしたら、かなりこわい。
「で、次、これは!」
もうワタシは笑いがこらえ切れなくなって、吹き出しながら答えた。
「それはエキュモアール。ビスキュイ生地を混ぜます。」
結局、危険そうな焼きゴテやエキュモアール、そのほかの道具は没収。成田で返してくれることになった。
この時、すでに23時。空港には誰よりも早く着いていたのに、搭乗はほとんど最後のほうだった。
長い長いパパの1日は終わり、やっと飛行機に乗り、横をみたら、パパはぐったり、死にそうな顔をしていた。
「本をせめて別便で送っとけば…」と言いそうになったが止めておこう。
パパもきっと自分の愚かさを悔やんでいるはずだ。
ワタシもパスポートはなくさなかったが、チケットを紛失して、パパの災難に彩りを添える結果になってしまった。
3時間空港内を走りつづけたパパは、機内食も食べず、昏々と眠り続けた。彼の眠る横顔をながめつつ、もうしばらくの間は彼に平穏をお与えください。とちょっと神様に祈りたい気分になった。
飛行機が日本に着き、機内から出た途端、日本独特の湿気が体中にまとわりついてきた。
この湿気で一気にクッキーやパイものが湿気るんだよ…と嘆きつつ、まえに進む。
長い長い旅行は終わった。
「また行きたい?」と、荷物を汗だくでひっぱりあげているパパに聞いてみた。
パパはニヤッと笑って、
「もちろん!」と答えた。
まったく、懲りない男だ。
|