パリを食べ尽くせ!
順調な滑り出し
ワタシのパリ・コンプレックスについて打ち明けよう。

パリでの出来事をお話するまえに、ワタシのパリ・コンプレックスについて、やっぱり触れておいた方がいいと思うので、少しだけみなみなさまに、この胸のうちを打ち明けよう。アーメン。

その頃、まだ加藤くんと呼ばれていたパパは、ある年の夏の暑い朝、
 「フランスで何をするの?」といぶかるワタシに
 「ボクは向こうで、ベレー帽をかぶる!」というナゾの言葉を残して、パリ行きの飛行機に乗って飛び去ってしまった。
あっけにとられていたワタシは、その1年後、そのベレー帽男と結婚して、パリで一緒に住むことになった。
それから4年弱、ワタシはパパとふたりで静かにパリ暮らしをしていた。そのことはとてもよい経験だったし、素晴らしい思い出ではあるが、帰国後、だんだ ん、あまりそのことをひとには言わなくなってしまった。カッコつけてるとか、そういうのとは違う、言うなれば冒頭で述べたパリ・コンプレックスだ。

 「パリに行ってた」というのは、どうも自分のキャラクターからみて、似合わないらしい。おまけにワタシは、コルドン・ブルーにもルノートルにも、もちろんリッツ・エスコフィエにも行ったことがないし、向こうのお菓子屋さんで働いたこともない。
 「でも、三ツ星レストランでお食事とかしたでしょ?」と言われても、
 「そんなこと考えもしなかったよ…」と、肩を落として言うしかない。
 「じゃ、向こうでなにをしてらしたの?」と聞かれると、とっても困るのだ。
そしてそして、もっと困るのは、「まぁ、パリに住んでいらしたの!ス・テ・キ!」
っていう、本気かよ、おい、という反応だ。
これは「オレのとうちゃん、社長なんだぜ!」的な、ヤな感じがある。
フランス語ペラペラでもないし、ブランドのお店もまったく知らず、日本から来た友人たちに、「みど、こっちだよ!」と数々のブティックを案内されていたし…
いろいろ列挙していると、ものすごく自分が無能な感じに思えてくるのだ。
お菓子を本格的にやるようになってからは、ますます、そう思うようになってきた。ものすごくムダなもったいないことをしてきてしまったんじゃないか…人 生、やり直しがきかんのじゃないか…という後悔も重圧としてどっしりとのしかかり、パリ・コンプレックスはかなり本格的なのものになってきていた。

そんなワタシの目を再びフランスに向けさせてくれたのは、やっぱり、「イル・プルー・シュル・ラ・セーヌ」の弓田先生のお陰だ。
弓田先生はフランスを、フランスのお菓子、食材、そのすべてを、かなりヤバイ程、愛しておられる。フランスの食材について、授業でも折に触れ、熱く語られる。
 「きみはフランスの食べ物のことを知ってるだろ。」と聞かれ、
 「ワタシ…三ツ星レストランにも行ったことないんです…」と、赤面しつつ答えたら、
 「そんなもん。別にどうってことないだろ。」と、先生はあっさり言った。
  なんだ、そうだよ。あんた、なにびびってたんだろう?バカだよなー。日本人全員、「吉兆」に行って飯食ったことあんのかよ。フランス人全員「トゥール・ダ ルジャン」行って鴨食ったのか?へへーんだ。星なんかなくても、おいしいレストランいっぱいあったじゃないか。ガイドブックにのってなくても、おいしいお 菓子いっぱい食べたじゃないか。おいしい食材だって、毎日買って食べていたじゃないか。
と、長かった呪縛から一瞬にして解き放たれた思いがした。

そんなこんなで、今こうやってこの自分のばかばかしいお話を、みなさんに告白するところまで回復してきたのだ。アーメン。
そこで去年の秋、ワタシは思い切ってイルプル主催のフランス研修旅行、フランスの国立製菓学校で、「ジャン・ミエ」のムッシュ・ドゥニ・リュフェルによる研修presented by弓田亨、という超ゴージャス企画に参加した。
そこで自分のなかのモヤモヤ感に一発、決着をつけてやろうと思っていたのだ。
結果、今までのフランス滞在のなかで、多分一番貴重な経験を数限りなくすることができたし、たくさんの大切な友達とも出会えた。そして大げさでなく自分の なかで、大きくなにかが動いたことも確かだ。だが、パリ滞在日数が2日間だけだったため、パリに思い入れの強すぎた私は、ますますパリに対して思いを募ら せることになってしまったのである。

そこで、話をもとに戻して、今回旅行の目的を50字以内で述べよ、とパパのお母さんに言われ、とりあえず、
 「フランス行ってたときと、日本に帰ってきてからと、自分の味覚がどう変わったか確認のため、食べれるだけ、食べてきます。」とシンプルに答え、ワタシとパパは久しぶり、懐かしいパリに向かった。
    
    
6月6日(水)
パリ到着は夕方。

やっと、シャルル・ドゴール空港に着く。ワタシは緊張すると、信じられない、ものすごい大変なことをやってしまう。去年は、パリ行きの飛行機の機内で、いかしたスチュワートがやって来て、「かとうみどりさんはおられますか?」というので、
 「はい。ワタシです。」と答えたら、
 「これを落とされましたよ。」と、にっこり笑って渡してくれたのが、なんとワタシのパスポートだった!キャー!
それもそのときが初犯ではなく、実は過去にインドでも1回デイパックごとパスポートを忘れ、すでにシートベルトをしめていたのに真っ青になって飛行機を降 り、手荷物検査のところまでぶっ飛んで、とりに戻った記憶がある。(もしか、これがすごろくだったら、パスポート落としてふりだしに戻る、だけど、そこは 変なところでどうも強運らしく、結局ちゃんと手元に戻ってくるから不思議。)

今回はそれをやらないように、やらないように…と念じつつ、パスポートを常に確認しながら、おっかなびっくり飛行機を降りた。
そしてタクシーでパリ市内にはいろうとするが、トランクがふたつ積めないとタクシーのお兄さんに断られ、仕方なく別のタクシーに乗ろうとしたら、割り込み したと思われ、いきなりフランス人のおばさんに「あんたたち!ちゃんと並びなさいよ!」と怒鳴られる。パパはがんばって「こっちは先に並んでたんだよ!」 と言い返すが、おばさんは「いったい、どこによ!」とまくしたてている。
ワタシは、「オー!怒りっぽいおばさん…これこそフランスじゃ!」と内心思いつつ、無視してスタスタ次のタクシーに移動。だって本当にちゃんと並んでいたんだもーん。気にしない気にしない。
怒れるフランス人のおばさんを残しタクシーはパリへ。

それまでワタシの頭の中で、パリは1枚の絵葉書のように、じっと息をひそめ、動きを止めていた。テレビのニュースや映画のなかのパリは、ワタシにとってなんだか全部が作り物のようで、リアルさを欠いて映っていた。
それがひさびさのパリの街角は、当然だが、新大久保となんら変わらない活気にあふれ、以前と同じように、違和感なくワタシたちを迎え入れてくれたような気がした。

予約したモンパルナスのホテルに荷物を下ろし、ほっとする間もなく、パパはそわそわ。
 「どーする?どっか外に行くでしょ。どこに行く?」
 「そうねぇー。別にどこでもいいけど、遠くはイヤだよ。」
で、とりあえず軽く夕飯を…ということで外に出てみることにした。
そして、パパが愛してやまないカルチェ・ラタン方面に歩きだしたら、5分もたたないうちに、まえに雑誌「フィガロ」でみた、小さなビストロ「
ワジャ」があった。
 「ここにしようよ。」と、愛するカルチェラタンにちょっと未練が残るパパを引っ張って、とっとと中に入る。
夜8時半、まだお客さんはまばらだ。

パパは前菜が鴨の燻製でアスパラガスを巻いたもの。メインディッシュも子鴨のフリカッセ、カシス風味。まったく鴨の好きな男だ。
ワタシは前菜小さめのにんじんのピュレがつまったイカのファルシー。メインはマグロの赤身とラタトゥイユをパート・フィロでミルフィーユ仕立てにしたもの。味は…まぁまぁ。ラタトゥイユは三色のピーマンが入って、トマトをほとんど使っていなかった。
食べていると、お店のお兄さんが「どう?気に入った?」と聞いてくる。日本人的には、これはいかがなものか、と思う。
だって、「ちょっと、マグロとラタトゥイユの量のバランスが、悪いんじゃない?」なんて、気弱なワタシは口がさけても言えない。
機内食を摂ったし、多少疲れていたので、こんな食べられないかなーと思っていたのに、しっかり食べる。
デザートは、パパが洋梨のタタンに柑橘系のキャラメルソースがけ。ワタシはシャルロット・フレーズ。
 「いきますねー。」
 「いやいや、あなたもなかなかいけるくちですな。」
 まわりが日本語を解さないという前提で、ふたりでどこまでもバカバカしいことを口走りつつ、ひたすらナイフとフォークは動き、皿は空になる。
 「ワジャ」は、パパが持ち歩いているビストロガイドの本、2001年版で、お鍋ふたつ。
(星でもお鍋でもいいのだが、ここでは評価はお鍋で表記されている。)ビストロ・トラディショネルということになっていたが、ワタシは、こりゃ、モデルヌでしょう、というのが感想。

勘定を払って、外に出たのは、もう10時近かった。

そのあと、「ロトンド」という、これまた歴史のあるカフェでエスプレッソを飲む。
一口飲んで、パパがうれしそうに言う。
 「きたきたきたきた!」
そう、日本で飲むエスプレッソは電圧の関係か、エスプレッソマシーンが違うのか、水なのか、湿気なのか、なんなのか、理由ははっきりわからないのだが、だいたい「?」である。フランスの味を基準にすると、「これエスプレッソ?」となるのだ。
そんなウキウキ喜んで飲んでおいて、ギャルソンにお金を払う段になって、値段が上がってるとブーブー言う。あんたいったい何年まえの値段なのよ。そりゃ値段も上がるでしょうよ。と、ケチケチパパをたしなめつつホテルに帰り、その日は終了!
6月7日(木)

まったくー、パパは意外と神経が細かい、と感じるのはこういう時だ。
彼は、時差ぼけとパリに来た興奮のため、夜中の2時半に起きてしまった。無視して眠り続けるが、ため息をついたり、しょっちゅうごそごそしているので、ワタシまで5時半に起きるはめになってしまった。

5時半のパリは暗い。そして6月といっても結構寒くて雨模様だっため、散歩に出る気にはなれない。ワタシは仕方なく、健康法である気功体操などをして、パパは狭いホテルの部屋と華麗な気功のポーズを決める妻のまわりをウロウロして、やっと7時になる。
そして、いっつもそればっか着てると言われているオリーブグリーンのハーフトレンチを着込んで、外に出る。
その足で、パン屋の「ポワラーヌ」へ。お店に入った途端、おばさんに、焼き立てのサブレをもらった。「うれちーい。」と喜んで、大好きなタルト・オ・ポムとフランを買う。
本当は、あのでっかいミッシュという丸いパン・ド・カンパーニュっぽいパンも欲しいけど、それは我慢しておく。以前は、レストランで出るパンといえば、バ ゲットという細目のフランスパンばかりだったのが、最近では、パン・ド・カンパーニュも増えて、カフェやレストランでも、「当店のパンはポワラーヌのパン です。」と貼り出している店も多いから、また食べられる機会もあるんじゃないかと期待しつつ…店を出た。

近くのカフェに入り、カフェオレを注文して、さっそく紙の包みをあける。
タルト・オ・ポムは、文句のつけようがない。強いて言えば、ちょっとりんごが少ないかな…季節的に苦しいのかな…ぐらい。パイ生地のさくさくとりんご、ちらほらするバニラ・シュガー。「あたしはそっけないわよ。でもあなたはあたしのこと好きでしょ…」って言われてるような気がする。
おまけで買ったフランだけど…実はワタシはフランがちょっと苦手だ。でも、でも、もしか、ポワラーヌちゃんのフランだったら…と淡い期待を抱いて、ちょっと買ってみた。
結果、フランはやっぱ、フラン。モチモチプリンだ…。

そのあと、ぶらぶら、サンジェルマン・デプレを歩きつつ、「
クリスチャン・コンスタン」へ。
朝、あまりにも早いため、買いたかったお菓子はなかった。
で、おばさんのお勧め、かなり塩気のつよいパート・サレにチーズのアパレイユをのせて焼いたガトー・フロマージュと、上にオーソドックスなメレンゲの軽く焼き目をつけたタルト・シトロン、そして、小さな小さなフィナンシェをいくつか買った。
ワタシはフランスに行くと絶対食べると決めているのが、タルト・シトロンだ。日本で自分で作っても、どこかで買っても、なかなかフランスのタルト・シト ロンのような、すっきりした酸味のタルトには出会えない。決定的にレモンが違うのだ。かなり砂糖を効かせているはずなのに、けっしてしつこくない。日本の タルトで、こんな風にメレンゲをのっけたりしたら、もうそれだけで、ゲホゲホになると思う。
これらのお菓子を、朝の寒いリュクサンブール公園のベンチで頬張りながら、
 「だんだん、苦しくなってきた…」と告白すると、
 「なんだ、おまえの実力はそのくらいのもんだったのか。もうギブアップか。」とあおるパパの声が聞こえる。だが、ここで挑発にのったら、あとが苦しくなる、と思いこの辺で食べるのを切り上げ、リュクサンブール公園をひさしぶりに散歩してみる。
 「なつかしいな〜」と、盛んにむかしをなつかしむ男と、「この公園って、むかしから象のにおいしない?」と、鼻をくんくんさせて歩くその妻。


このあと、サン・ミッシェルの料理本専門店、「リブレリー・グルマンドで、本を探す。お店のおばさんが、「どんな本を探しているの?」と聞いてくれたので、「地方菓子の本と、焼き菓子の本、サガシテイマース。」と言ったら、何冊か出してきてくれた。それをいろいろ悩んだすえ、数冊購入。

昼食はちょっとまだ苦しかったのでパスして、レ・アールの道具屋街へ。
 「
ドゥイルラン」、「モラ」、「アー・シモン」と、あちこちのぞく。
特にワタシは「モラ」が大好きだ。キャー!すごいすごい、を連発しながら、お菓子の型のコーナーに張りついていろいろ見ているのは、至福の時間だ。
マトファーの道具が日本の半額以下で購入できる。うれしくて、うれしくて、いろんなものを買った。

このことが後にパパの運命を大きく狂わせることになろうとは…そのとき誰が知り得ただろうか?

このあと、「ジェラール・ミュロ」さ行って、ルバーブのクラフティ、バルケット・オ・マロンとほうれん草のキッシュ、ヌガーのマカロンを買いこんでいたら、ミュロさんがひょこっと出てきた。
 「いやー、ちゃんと有名になっても現場でやってんのね。」と感心する。

そして、いったんホテルに帰って荷物を置き、夕飯を食べるビストロを決める。
その夜決めたお店は、友達のヒャクちゃんに教わった、鍋マーク3つの、ブルターニュ料理の「シェ・ミッシェル」。
雨の中、ブーブー言いつつ、地下鉄を乗り換え、8時に到着。

またまたパパは、前菜に鴨のコンフィとそば粉のクレープ、コルニションという小さなピクルスとバターが、どんと添えてあり、あまりのすごさに一瞬絶句。メインは、これも肉食獣のパパが主食としている子羊のグリル。肉の上に、どんとサラダ、そしてジャガイモとニンニクのグリルが鼻をくすぐる。
ワタシは、オマールの冷たいスープ。おねえさんが、キュウリとシブレットのいっぱい入ったスープ皿を持ってきてくれて、中に海老スープをとろとろといれてくれる。
 「もっと入れる?」「ウーン…」「じゃ、もっと欲しかったら言って。おかわり持ってくるからね。」と言って去って行く。メインは黒鯛のラタトィユ添え。これもうまかった!
デザートは、パパはチーズの盛り合わせ。ワタシはクイニーアマン。
 「これもいけますぜ、だんな。フランスの粉の味がはっきりでていて、まわりのパートが、カリッとしているというより、ガリッとしっかりしてて、なかはモチモチ。日本で食べるとべとべとしがちなお菓子だけど、まさにママンの味ですな。」
 「チミの説明は擬音ばっかりでわからんのだよ。」
と、パパがご機嫌でワタシの大切なクイニーアマンを口に放り込む。
ビストロガイドではお鍋三つ。ワタシもお鍋三つあげたい。やっぱ、フランス料理はこんなんが好きだ。

6月8日(金)

相変わらず時差ぼけのパパは、「今日は3時半に目が覚めた」…とのことで、結局ワタシも5時半に、「頼むよーもっと寝かせてよー」といいつつ、その日も目が覚めてしまう。

奥さんが寝不足で不機嫌になっていることを、パパは敏感に察知して、今は亡きシャンソン歌手、セルジュ・ゲンズブールのお墓に墓参りに行くと言い残して外出。7時半になって、墓地が開くのが8時からだった、と、しょんぼり帰ってきた。
8時に、またオリーブグリーンのトレンチをはおって、とりあえずカフェへ。

朝はやっぱ、カフェオレがいいと思う。
ここで、かとうみどりが、みなさんに声を大にしてフランスにおけるマナーというのをひとつご伝授いたそう。レストランで昼夜問わず、食事の後にカフェオレ を頼まないで欲しい。これはフランス人の前で鼻水をジュルッとやるのと同じくらい、やっちゃいけないことだと思う。ハーブティーでも紅茶でもいいけど、カ フェオレはいけないのだ。これだけは忘れないで欲しい。これを誰かがやるたび、ワタシは、背中に冷たい汗をかいている。

話がそれちゃったが、その日は「ジャン・ミエ」に行った。
会うひとみんなが好きになる、伝説のパティシエ、ムッシュ・ドゥニがいるところだ。
メトロを降りたら、めちゃくちゃ庶民的な道を通って、ジャン・ミエに着く。最初にここに来たひとは、ちょっと面食らうかもしれない。本当にそんなすごいお店なのか?といぶかるぐらい、こじんまりとした庶民的な店構えだから。だけど看板の正面には信頼のMOFマークが輝いている。
ドキドキしながら店内にはいり、キッシュ・ロレーヌと野菜のキッシュをとりあえず注文。小さなテーブルがあるから、そこに座ってキッシュを温めてもらう。
ドゥニさんの作る料理もお菓子も、食べるとわかるけれど、いつも必ずなにかを教えられる。そして無口になる。本当においしいものを食べると、言葉は意味がなくなったりするのだ。
そしてその瞬間は、次に頼んだピュイ・ダムールを 食べたとき、大げさでなく、やってきた。涙が出そうになったのだ。メレンゲの入ったクレーム・パティシエール、つまりクレーム・シブーストは、流れるよう にやわらかく、それでいてしっかりとした味わいだ。上にのっかている砂糖のキャラメリゼは、なぜこのお菓子にこのキャラメリゼが必要だったかが、口に入れ た瞬間に感覚的にわかるはずだ。そしてしっかりとこれを受け止めるパート・ブリゼは、全体を一部のスキもなく引き締めている。
 「ねえ、泣いてもいいかしら?」
 「はぁ?」
 「いーから。あんたもこれを食べてみなさいよ。」
 パパも、恐る恐るフォークをフルフル揺れるシブーストに差し込む。
 「一気にいけ、一気に。キャラメルからパートまで食べなきゃよ。」
 「ウ…美味い!」
端から見たら、なんてばかばかしい夫婦と思われるだろうと、今は思うが、そのときは、もうふたりとも夢中だった。
このあと、ブレジリアンという、コーヒーのバタークリームのケーキと、もうひとつ、フランスに行ったら絶対食べるアプリコットのタルトを食べ終え、
 「じゃ…行こうか」と、レジでお金を払おうと立っていたら、イヤーン、店の奥からムッシュ・ドゥニがひょっこり出てきた。
ヒョイとワタシを見て、ちょっと沈黙。そのあと、「元気?」とひとこと。
 「は,はぁ…ムッシュはお元気ですか?」
 「うん。元気だよ…」
 「…」 
 「…」
 「じゃ、またね。」「あ、ハイ…、また東京で…」「うん、東京でね。」
キャー!!!本当に心臓が止まるかと思った。ムッシュとしゃべっちゃった!。
ムッシュ・ドゥニと弓田先生は、弓田先生が「ジャン・ミエ」 で修業して以来の仲で、そりゃあもう、すごいもんだ。お互いに親友だって言い合っていたし…。そのお陰で、昨年の研修のとき、ワタシのようなものもムッ シュ・ドゥニとちょこっとお話する機会があった。たぶんムッシュは、ワタシを見ても、誰だかは覚えてなんていないだろうけど、なんとなく見覚えのある顔だ な、とりあえず挨拶しとこう、ぐらいのもんだろう。でも、やっぱねーうれしいねー。


ウキウキで「ジャン・ミエ」を出て、近くのパン屋さん、「プージョラン」へ。
「プージョラン」で、カヌレ、マドレーヌなどの焼き菓子をうんとこさ買って、少しセーヌ河を散歩。

少し歩いて気がつくと、そこは、パパがまだひとりでパリに暮らしていたとき住んでいた2軒目のアパートの近く。
 「行ってみたいよね。」と言うので、
 「あたしゃ別に。」「なにを〜!貴様〜!」とプンプンする、からかいがいのあるパパと、セーヌを右に大きく折れて、しばらく歩けば、来たよ来たよ、パパ第2のアパート。
そこは、壁という壁がすべて鏡ばりになっていて、ものすごく狭く、窓が1個もなく、1階で、しかもドアを開けたらいきなり道路で、恐ろしく安かったらしいが、恐ろしく非人道的な部屋だと最初にそこを訪れたとき、ワタシは思った。
 「もうあのアパートないかな?」と、言いつつ、長い階段をのろのろと降りていく。
 「あった!ほら、まだあるよ!」
パパは歩幅が大きくなって、早足になった。
ワタシと結婚するまえの1年間、ひとりで暮らしていた部屋だ。日本では、いつもいつもたくさんの友達に囲まれ、ひとりになったことなんてないひとだった。それが、フランスに来て過ごした孤独な時間は感慨深いものがあったのだろう。
ワタシたちはしばらくのあいだ、黙ったままその小さなドアのまえにじっと立っていた。

その夜はパパの希望で、いわゆるモデルヌと言われる、日本でもわりと有名なレストランに行った。
ワタシはあんまりモデルヌは気が進まない。好みの問題なのだが、突飛な料理は日本ででも食べられるし、おいしいと素直にからだが反応するのは、あくまでもなつかし系の料理になのだ。
その著名なレストランで、ワタシはフォアグラのベリーソース、子牛のツナクリームソース、トマトとクルジェットのファルシー、イチゴ、ブルーベリー、カシス、フランボワーズなどベリー系のてんこもりソルベがチュイルに入っているデザートまで食べた。
パパはサーモンのタルタル、マーシュサラダ添え、ウサギのソテー、アプリコットのタタン、ピスタチオのアイス添え。
はっきり言って最悪だった。もうこの散漫なメインのお皿がきたとき、リタイヤできるもんならリタイヤしたい気分だった。そしてその結果、半分も食べられなかった。
デザートも同じチュイルふたつ並べたなかに同じソルベを入れるなら、ふたつは多すぎはしないか。なんとも料理人の意図が読み取れない。ワタシは、自分が カレン・カーペンターになったような気分で、チュイルをナイフで細かく細かく刻み、ソルべがじっとり汗をかいて皿の上で溶けていくのを見ていた。

そして、この夜ホテルに帰ってから、ワタシはぶっ倒れた。

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