直行便 vols directs
いわゆる格安航空券は数多く、価格もどんどん安くなっていて、東京ーパリ間も、季節を選べば、6、7万円で往復することもできる。しかし、そのほとんどが、
トランジット、つまり1〜2ヶ所に寄る、経由便である。結局、15時間くらいから、20時間以上、下手をすると、どこかの空港で一泊、なんていうものもあ
るのでご用心。若い頃は、そんな飛行機で往復したものだが・・・。 東京ーパリを直接結ぶ直行便は、その分、割高になるが、平均12時間で移動できるので、楽は楽。 なお、直行便があるのは、エール・フランス、全日空、日航、などだけ。 |
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三つ星 trois
etoiles
パリのホテルは、その施設の充実度によって、星なしから四つ星デラックスまで分類されていて、料金も星が増えるに従って高くなる。
たとえば、二つ星なら、一部屋400F〜500F程度だが、三つ星となると、600Fくらいから、高い部屋になると2000Fくらいにまで跳ね上がる。姉さんが怒るのも無理はない。
加藤浩樹は、渡仏当初の一ヶ月余り、カルチェ・ラタンの星なしホテル「hotel
Cujas」で暮らした。滅法安かったが、ずっと後になって、そこが、幽霊の出ることで有名なホテルだと知った。その後、お払いを済ませ、改装し、今では、名前もちょっとだけ変えて、二つ星ホテルに生まれ変わっている。 |
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サンジェルマンデプレ界隈 St-Germain-des-pres
カルチェ・ラタンの西側に位置し、交通の便もよく、おしゃれで手ごろなブティックも多くて、しかもお菓子屋さん密集地帯。姉さんが愛してやまない場所である。
サ
ン・ジェルマン・デプレの名前がクローズアップされるのは、1950年代、サルトルやボーヴォワールなどの実存主義者たちが、「フロール」や「ドゥー・マ
ゴ」などといったカフェにたむろするようになってから。「実存主義者たちの女神(ミューズ)」と呼ばれた歌手ジュリエット・グレコや、文学や音楽からレー
サーまでをこなしたマルチ・タレント、ボリス・ヴィアンなどのような才人たちのホームグラウンドでもあった。 |
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凱旋門 Arc de triomphe
ご存知、凱旋門である。シャンゼリゼである。パリが舞台のテレビ番組などでは、必ず、最初に凱旋門が映ったりすることを思えば、いかにもパリ、な名所ではあるのだが、実は、この界隈、何気なく不便である。まず、交通の便が思ったほど良くない。そして、我々が欲するような、安い手ごろなビストロや小さなブ ティックがない。ごちゃごちゃした下世話なパリらしさがなく、大味である。
とはいえ、その昔、シャンゼリゼから歩いて10分のところに住んでいた加藤浩樹は、新作映画を見ようと、この通りの、でっかいロードショー館で並んでいたら、おすぎが通りかかり、ニヤリ、と、笑われた甘酸っぱい想い出がある。 |
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カルチェ・ラタン Quartier latin
サン・ミッシェル大通り(「ブール・ミシュ」とも呼ばれる)を中心にした一帯。 14世紀に作られたソルボンヌ大学に集まってきた学生が、当時の学問の共通語であるラテン語を話していたというところから、「カルチェ・ラタン(ラテン地区)」と呼ばれるようになった。まさに、学問の街である。 ここは、今でも学生街であり、本屋、文房具屋、安レストラン、安ホテル、名画座などがびっしりと軒を並べている。
レ
ストラン街は、セーヌ河にほど近い、サン・ミッシェル広場の東側あたりに広がっていて、特に、ギリシャ料理屋、クスクス屋、中華料理屋などが多い。ギリ
シャ料理は、1000〜1500円のコースもあるし、中華料理にいたっては、800円くらいのコースもある。もっとも、内容は、まあ、それなりに、としか
言いようがないが・・・。
ちなみに、いわゆるソルボンヌ大学とは、パリ第四大学のことで、文学・哲学系の学科がある。 |
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ビストロガイドの本
「Le petit Lebey 2001 des
bistrots parisiens」(Albin Michel,
2001)
ガイドブックというと、ミシュランやゴー・ミヨーが有名だけれど、このガイドは、ビストロ専門。 パリの優良ビストロ313軒を、「モデルヌ(現代風)、トラディショネル(伝統的)、レジオナル(地方料理)、などに分け、さらに、鍋なしから、鍋3つまでの評価を加え、簡潔ながら的を射たレポートをしてくれているのが嬉しい。 さらに、評価は、パンやコーヒーにまで及んでいる。 高級レストランでなく、庶民的な、そしてフランス的なビストロを探すならこの本、パパのイチオシの非常に便利な本である。 ちなみに、「ワジャ」の評は、こうなっている。「ヴァヴァン広場から目と鼻の先にある、感じの良い小さなビストロ。シェフはよく代わるが、料理は、質の良さを維持している。オーナーも人間味豊か。」 |
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セルジュ・ゲンズブール Serge
Gainsbourg(1928-1991)
フレンチ・ポップス界の異端児にしてスーパースター。
1958
年、「リラの切符切り」でデビュー。ブリジット・バルドー、カトリーヌ・ドヌーヴ、イザベル・アジャーニ、フランス・ギャル、アンナ・カリーナ、ヴァネッ
サ・パラディなどに曲を提供し、自らも、ジャズ、アフロ・ラテン、レゲエ、ファンク、など、変幻自在に音楽スタイルを変えながら、常に時代の先端を走って
きた。同時に、テレビなどのメディアを通じて、数え切れないスキャンダルや騒動も巻き起こすトリック・スターでもあった。 音楽の他にも、映画、小説、写真などでも活躍、マルチな才能を見せた。
女優・歌手ジェーン・バーキンは前妻、女優シャルロット・ゲンズブールは、ふたりの娘である。ちなみに、彼は、モンパルナス墓地に眠っている。 |
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MOF
Meilleurs Ouvriers de
France(メイユール・ウヴリエ・ド・フランス)のこと。
フランス最優秀職人とも、最高技術者とも訳される。 あらゆる分野(約220種類)の職人の中から、3年おきに行われる厳正な試験を経て選出され、贈られる称号であり、いわば、国が認める超一流技術者の証明。1924年より始まった。 アカデミー・フランセーズが文化を担い、MOFは、職能を担っている、とも言われるが、充分なバックアップ体制をとれる大きな店の職人に有利だとも言われている。 辻調理学校の故辻静雄氏が、1972年、日本人としては初めてこの栄誉(名誉賞)を受賞している。 |
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シテ島 Ile de la Cité
セーヌ河に浮かぶふたつの中の島のひとつであり、パリ発祥の地とされている。ノートルダム寺院や、革命後にマリー・アントワネットを幽閉したコンシエルジュリーなどがある。 |
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ムフタール Mouffetard
細く長いムフタール通りには、魚屋、八百屋、肉屋、チーズ屋、安レストランなどが軒を連ね、いつも、人々でごったがえしている。この通りを端から端まで歩いて、買い食いをすれば、ひととおりの、立派な食事になるだろう。 |
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由緒ありそうな効能書き Stohrer
こう書かれている。
「1725
年、ルイ15世との結婚に際し、マリー・レクザンスカ(ポーランド王女=訳註)は、従者一行に加え、父親のお抱え菓子職人・料理人を伴って、パリへやって
きた。5年後、この菓子職人は、モントログイユ通りにお菓子屋を開く。そのスペシャリテが、「ババ」であり、「ピュイ・ダムール」である。1864年頃、
店は、ガリエラ・ホテルやオペラ座を手がけたことで名声を得ていた画家ポール・ボードリによって装飾を施された。この建造物に、18世紀末頃からあるの
が、扉の上部に作られた、芸術や文学の象徴に囲まれた地球、という珍しいレリーフである。」 |
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中華街 Quartier
chinois
パ
リには、大きな中華街がふたつある。ひとつは、右岸19区のベルヴィル地区、そして、もうひとつが、問題の、左岸の右下、イタリア広場(Place
d'Italie)の南東に広がるショワジー地区である。歴史的にはこちらの方が古い。中華街とはいっても、ベトナム、タイ、カンボジア、ラオス、などの
食料品店、レストランがひしめいている。地区の中心には、「陳氏百貨商場」という大きなスーパーがあって、ここでは、アジア系の食料品が何でも手に入る。
この店の地下に、中国人だけが入ることの出来る秘密のマーケットがある、という話を聞いたことがあるが、まあ、都市伝説であろう。
かとうみどりは、中華街で売っている中華サンドイッチ(叉焼やコリアンダーが、フランスパンにはさまれている)が好物である。
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北京ダック canard laqué
北京ダック、つまり、直火焼きした鴨の、カリカリの皮だけを食し、葱と一緒に荷葉餅で巻いて食べる贅沢な一品であるが、パリでも、これが食べられるのは、この中華街の、この店と、この店の周囲の大型中華料理屋数店のみかもしれない。他のパリ市内の店にも、canard
laque は存在するが、ほとんどは、ただの鴨のローストである。
ちなみに、点心をいただくなら、ベルヴィルの中華街、ということになる。店内をワゴンが回るような本格的な店もある。同じパリ市内でも、地域によって、得意技が異なるらしい。 |
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クリスティーヌ・フェルベール Christine
Ferber
1998年のフランス優秀パティシエに選ばれたクリスティーヌ・フェルベールは、お店のあるアルザスの伝統を守りつつ、現代の感覚をキャッチーに取り入れることに成功しているナカナカのつわもの。 赤いシャポーに白いリボンが目印の彼女のジャムは、今や、パリでも幅を利かせておりました。 |
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バスティーユ Bastille
1789年のフランス革命とは、ここバスティーユにあった監獄を、市民が襲撃した事件に端を発したものである。思想犯などが投獄されていた監獄は、旧体制(アンシャン・レジーム)の象徴だった。監獄は破壊されて、では存在せず、そこは、バスティーユ広場となっている。
15年くらい前までは、ほとんど場末の街だったが、新オペラ座が完成したことと前後して、アーティストや業界人が集まるような、おしゃれな街へと変貌してきた。小さいブティックや、バーなども充実している。 この広場から、歩いて15分ほどのところに住んでいたかとうみどりは、足繁く通ったもので、映画館に、夜10時からの最終上映などもよく観に行き、深夜の大通りをとぼとぼと歩いて帰ってきたものだ |
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