記憶の旅 記憶の味
un jour à Venise
ヴェネツィアの一日
ルキノ・ヴィスコンティの映画「ベニスに死す」のファースト・シーンは、老境を迎えた音楽家を演じるダーク・ボガード がヴェネツィアに到着し、ゴンドラに乗り込むところで始まる。
ゆったりと揺れるゴンドラから眺めるヴェネツィアの風景は、まるで夢の中のように美しい。 ヴェネツィアに着いたら、ゴンドラはさすがに贅沢だとしても、せめて水上バスに乗って、映画のように運河の上からこの町の景色を眺めてみたい、と思ってい た。すっかり、そのつもりでいたのだ。

バルセロナを出た私たちは、列車を乗り継いで地中海沿いを走り、およそ24時間かかってヴェネツィアに到着した。若かったとはいえ、バカンスの客があふれかえった列車の旅は、ちょっとばかり辛かった。ただ、車窓の向こうに絶えず広がっている地中海の景色だけ には、ひたすら見とれているしかなかった。青い海、海岸沿いの白い家々、スペインからフランスに入り、カンヌ、ニース、モナコ、と、私たちにはあまり縁のないリゾート地であったが、その雰囲気だけは遠い車窓からも十分堪能させてもらった。

そんな優雅な余韻を残して、私たちは、ヴェネツィアの駅に降り立った。何しろ、ここは憧れていた水の都なのだ。期待しない方がおかしい。水上バスに乗るためにも、ひとまず両替をしようと思い、駅の両替所に並んだ時、妻が素っ頓狂な声を挙げた。
 「あ、ない!」
ウェストポーチを開いたところで、妻は、中にしまったはずのトラベラーズチェックがなくなっていることに気づいたのである。ヴェネツィア行きの列車は、別名「泥棒列車」といって、このくらいの盗難は日常茶飯事だというのは、あとで聞かされた話だった。私たちも、24時間の列車の旅のどこかで、まるで魔術のような盗難に出会ったのだろう。私たちは駅の公安室で盗難届を書き、すぐさまトラベラーズチェックの会社へと向かった。ヴェネツィア駅前の運河を水上バスに乗り込んだのは計画通りだったが、とても優雅な気分で町を眺めるどころではない。一刻も早く手続きをしなくては、と、逆に、水上バスののんびりさに苛立ってしまうくらいだった。そんなわけで、再発行の手続きを済ませた時、ようやくヴェネツィアの風景を眺める余裕が生まれたのである。

ヴェネツィアは、海の上に作られた人工の町、少しづつ海の中へと沈下を続けているそうで、いつかは再びこの世から消えてなくなってしまうのだろう。そのせいか、 この町はいつでも非日常的な空気に満ちている。人々が仮面をつけて街を闊歩する有名なカルナバルは2月だが、カルナバルでなくとも、この世のものとは思え ない香りをまき散らしているのだ。いずれ廃墟となるからこそ、この沈みゆく都は、その残り少ない日々を謳歌しているようにも思える。そのせいか、土産物屋と観光客とでごった返し、真っ直ぐに歩けないほどのリアルト橋の雑踏も、鬱陶しさを感じないだけでなく、かえって心がはずんでくる。ヴェネツィアは、実に 不思議な町だ。

夜になって、私たちは、ホテルのご主人に教わったトラットリアへ向かった。トラベラーズチェックを失った私たちは節約を余儀なく されていたが、それでも食い意地には勝てない。ボーイにすすめられるままに、何品かの料理を注文した。そうして、生ハムなどのオードヴルで白ワインを飲み 始めたのである。
 「ねえ、ちょっと、あれ・・・。」 
妻がそう言って、目で合図する。その先には厨房があって、そこで、ピザを焼いていた若い料 理人と先輩格らしい中年の料理人とが口論を始めている。イタリア語の喧嘩は、有無を言わさぬ迫力がある。争いはますます激しくなり、年上の料理人が若い方の頬を平手で殴った。そして、「表へ出ろ!」とでも言ったのだろう、相手の腕を乱暴につかみ、表へ引っ張り出す。私たち客の手前も何もあったものではない。そのまま放っておいたら、流血沙汰にもなりかねない勢いだったが、そこへ店の主人らしい男が割って入り、争いは何とか事なきを得た。喧嘩をしていたふたりは、ぶつぶつ言いながら厨房へと戻り、仕事を再開したのである。

妻と私は最初、呆気にとられてその様子を見ていたが、やがておかしくなって、顔を見合わせてくすくすと笑ってしまった。盗難の件を忘れ、イタリアにやってきた実感が沸いてきて、やっと楽しくなってきたのだ。泥棒と喧嘩はイタリアの華、とでも称賛したいところである。私たちは、また、ふたりが喧嘩を始めてくれないかなあ、などと不謹慎な会話を交わしつつ、料理を楽しんだ。そし て、すっかりヴェネツィアを気に入ってしまった。

スペインと違い、イタリアでは、コース・メニューを頼むと、あとで後悔することが多い。特に、 観光地にあるツーリスト・メニューの類は、はっきりと手を抜いているのがわかるからだ。しかし、ちょっとばかりの出費を覚悟して、ひとたび、アラカルトで注文をすると、これぞイタリア料理というものを満喫することが出来るのは間違いない。

ヴェネツィア料理というと、やはり、魚介類ということになるのだろう、ピザでも、ふんだんにシーフードを乗せてくれる。しかし、私が気に入ったのは意外にも仔牛のレバー料理だった。甘くなるまでじっくりと炒めた玉ねぎとレバーの風味が食欲をそそる。肉料理だけれど、白ワインでゆっくりと食べるのもいい。
トラットリアならではの、がちゃがちゃと騒々しい雰囲気が、またことさらに気持ちを昂揚させる。「さあ、食え、食え。」と言わんばかりの店の態度が何とも大らかで、愉快だ。

食事の後、私たちはほろ酔い加減で、運河の張り巡らされた薄暗いヴェネツィアの路地をさまよった。どこからか、朗々と歌われるカンツォーネが聴こえてく る。ゴンドラの船頭が歌っているものが、狭い路地から路地へと反響して、遠くまで響いてくるのだろう。その歌の合間に、運河の水が河岸に当たって、ぽちゃ り、ぽちゃり、という音を立てる。思わず眠気を誘われて橋の下の運河を眺めていると、ふと、通りの角から、ヴェネツィア風の白い仮面が覗いているような錯 覚に襲われるのだ。自動車も立ち入ることの出来ないこの町は、まるで時の観念というものがない。自分が、一体、いつの時代にいるのかわからなくなる。いつまでも、こうして、運河を眺めながらたたずんでいたい、と思った。

翌朝、私たちは、ヴェネツィアの中心ともいうべきサンマルコ広場へと足を運ん だ。すると、この広大な広場全体に海水が浸水していて、長靴でも履いていないことには、まともに歩けないくらいだった。海水に浸ったサンマルコ広場、この眺めも悪くない、と思っていたら、妻が言った。
「やっぱり、ヴェネツィアは沈んでゆくのかな。」

なるほど、そうかもしれない、と思った。この眺めはただの浸水などではなく、ヴェネツィアが海の底へと沈んでゆく予兆なのだ。いつの日か、ヴェネツィアは 海の上から、船の上からでしか眺められないようになるのだろう。「ベニスに死す」の冒頭のように、ゆらゆらとゴンドラに揺られながら眺めるだけの都になってしまうのだ。この町の住民には失礼な話だが、それはそれでよいように、私は思った。それまでは、泥棒でも喧嘩でも、好きなように騒げばいいではないか。

 「そうだ、沈まないうちに、今日も早いとこ、おいしいものを探さなくちゃ・・・。」 
私は、妻をせき立てるようにして、サンマルコ広場を後にした。