記憶の旅 記憶の味
dîner à l'Atlantis
アトランティスの夕食
私たちはイアへ夕日を見に行った。

イアはサントリーニ島の先端にある町で、海に沈む夕日を見るならこの町、と いう名所なのだ。ホテルのある町からイアまでは50ccのスクーターで小一時間ほど。本当はもっと早く着けるのかもしれないが、原付の免許さえ持っていない私にとっては、その程度の運転が精一杯だった。ギリシャでは、50ccなら免許がなくても運転できる。島にはレンタルバイク屋が何軒もあって、みんなそこでバイクを借り、二人乗りをしてビーチに行ったりしている。私たちもそれに従ったのだ。

イアへ向かう道筋は一本。しかし、道のすぐ横は海に向 かって切り込んだ断崖で、しかもガードレールもない。つまり、不慣れなバイクのタイヤが数センチでも脇へそれれば、私たちは海に向かってまっ逆さまに転落することになる。そんな悪路が延々と続くのである。私は妻を荷台に乗せて走り始め、すぐにイア行きを後悔した。肩と腕とにしっかりと力が入り、視界の隅に ちらつく深い海を、意識して無視するようにしていた。そんなことに気づかない妻は、風景が変わる度に歓声を挙げ、私に向かって同意を求めるのだ。
 「うん、うん・・・。」私は首さえ動かすことなく、そう返事するのがやっとだったが、妻には私の声は届いていなかったらしい。
イアに到着し、スクーターを離れた時、私は初めて、妻とまともな会話が交わせるようになった。ただ、両腕はしびれたままだった。

イアには島中から沢山の人々が集まっていた。海に面した断崖は立錐の余地もないほどだ。私たちの視線の向こうには、今まさに海面に沈んでゆく太陽があっ て、最初はざわついていた群衆も次第に静かになり、とうとう最後には誰もが黙りこくって夕日を眺めている。夕日が、人を寡黙にさせるのは、万国共通である らしい。
夕日が照り映える海面を、島を出発したフェリーが滑り、遠くなってゆく。船の航跡にそって、ガラスのように静かな水面にかすかな波紋が広がってゆく。どうしてだか、切ない思いにかられてしまう眺めである。

サントリーニは、私たちがエーゲ海と聞いて思い浮かべるような、白い家々の並ぶ美しい島であるが、もうひとつ、この島こそアトランティス大陸だったという 説でも知られている。紀元前1500年頃、サントリーニ島の火山が大噴火して島の中央部を沈没させ、当時この島に栄えた文明を滅ぼしたというが、この噴火が、後に、プラトンが唱えることとなるアトランティス大陸の神話につながっているのではないか、という説である。もちろん、アトランティス大陸などという ものは壮大なフィクションでしかないのかもしれないが、この島の海に沈む夕日を見ていると、それがあながち嘘でもないように思えて仕方がない。そして、この風景が、紀元前1500年という途方もない過去のそれと全く変わっていないように思えてくるのである。イアの夕日は、時を立ち止まらせるどころか、数千 年の時を逆流させてしまうのだ。

イアの水平線に太陽が隠れてしまうと、集まっていた人々は三々五々、散っていった。私たちも再びスクーターにまたがったが、復路は山側を走るから、往路のような恐怖を覚えることもない。やっと余裕を持って、私たちのホテルがある町、そして島の中心街ともいうべき フィラに戻ったのである。

日は沈んでしまったけれど、慌てて夕食のことを考える必要はない。フィラには、お土産屋がひしめいて、まず腹ごなしに そんな店の一軒一軒を冷やかして歩く。特別なものがあるわけではない。ただ、店の並ぶ白い石段の坂道をあっちへふらふら、こっちへふらふらすることが楽し いのだ。昼間の強烈な陽射しも、今では、涼しいそよ風に変わっていて、夕涼みとはこういうことを言うのだな、と実感させられる。日本でも、真夏の縁日など に浴衣で出かけて、出店をいろいろと覗いて歩くことがあるが、ちょうどそんなものかもしれない。

迷路のような坂道には、ところどころタベルナと呼ばれる安いレストランがあって、店先にタコや海老や大きな魚などを並べて、通りゆく観光客にアピールしている。
 「どうです、新鮮な魚介類でしょう!」「おまけに、店は、岸側に面していますから、眺めも最高ですよ。席も今なら空いていますからね。」などと、調子のいいお兄ちゃんたちが声を張り上げるのである。妻はすぐに彼らに捕まり、次々と魚を見せられている。
 「もう少し、見て回ってから。」私はそう言って、再び妻と歩き出す。
 「待ってますよ!」背中の方から、追い打ちをかけるような威勢のいい声が響く。
タベルナ選びは、こんなかけあいの繰り返しだ。どこを覗いてもおいしそうに見えるし、景色も良さそうに思えてくる。挙げ句の果てには、店を決めかねて、何度も同じところをうろついてしまう。妻もいい加減、腹が減ってきて、「早く入ろうよ。」と半ば不機嫌に私をせかすのだ。「じゃあ、さっきの店にしようか。」と、もと来た道を引き返す。しかし、いつのまにか遠くまで来ていて、その店が思ったより遠かったりもする。
 「やっぱり、来てくれましたね!」客引きのお兄ちゃんが笑顔で迎えてくれて、約束通り、私たちを海に面した席へと案内してくれた。散々吟味したものの、正直なところ、観光客相手の店なんて、味にそれほどの差があるわけでもない。あとは、眺めの良し悪しが大事なのだ。

手摺に肘をかけて、私たちは、しばしぼおっと海を眺める。ちょっと歩き過ぎた気もするが、そんな疲労もどこか心地よい。私は、タコのマリネなどをつまみ に、レッツィーナと呼ばれる松ヤニ入りのワインを飲むのが好きだ。ちょっと薬のようでもあり、敬遠する人も多いのだが、真夏の夕方、エーゲ海を眺めながらつまむシーフードには、よく冷えたレッツィーナが一番合うのだ。

妻はムサカを注文した。ムサカはお惣菜としても切り売りされている。茄子と挽き 肉とホワイトソースの匂いが、私の鼻先まで届く。妻が旨そうに食べるので、彼女の皿に手を伸ばし、ムサカを少々つまんで口の中に頬張った。その甘味が口いっぱいに広がるのを楽しみながら、私は再び暗い海とその向こうの島影に目をやった。

アトランティスの人々も、こうやって同じ風景を眺めながら、食事をしたのだろうか。

ギリシャのワイン造りの歴史はヨーロッパでは最も古い。クレタ島でワインが作られたのは紀元前3000年頃というから、アトランティスでもこのレッツィーナを飲み、そしてムサカのような料理を味わっていたとしても少しも不思議ではない。そう考えると、レッツィーナのような安ワインが急に神秘的なものに思えてきて、私はグラスに並々注がれたこの酒を一気に飲み干した。
妻が、呆れたような顔つきで私を見ていた。