フランスかぶれの手帖
Paris en noir et blanc, Paris en couleur
白黒の巴里 天然色のパリ
最初に触れたフランスが怪盗ルパンであったことはすでに書いたけれど(「怪盗ルパンのパリ」)、あれはほんの始まりのお話。

その次に触れたフランスというのは、おそらく高校生になった時分だったと思う。
その頃に流行りだしたニューウェイヴなどといった音楽の影響で、私の目は、自然とヨーロッパに向かっていった。アメリカなんてダサイ、やっぱりヨーロッパでしょ、デカダンでしょ、なんていう、いかにも若造らしき青臭い発想。
だから映画もヨーロッパ。
訳もわからず、ゴダールだのトリュフォーだの、いわゆるヌーヴェル・ヴァーグ(英語に直せばニューウェイヴだし)のものや、アンジェイ・ワイダなどのポーランド映画なんていうものを観に行ったりしていた。

実は、大好きだったムーンライダーズというロックバンドの「カメラ=万年筆」というアルバムに影響された部分も大きい。このアルバムに収録された曲は、 ヨーロッパ映画の名作をそのままタイトルに借用している。「無防備都市」「狂ったバカンス」「アルファビル」「幕間」「水の中のナイフ」「大人は判ってく れない」「欲望」「地下水道」「彼女について(私が)知っているニ、三の事柄」・・・。映画と曲には、ほとんどつながりなはいのだが、タイトルを眺めてい るだけでも想像力がかきたてられるものばかりで、とにかく、このアルバムがタイトルとして借用している映画を片っ端から観に行った、というわけだ。

そんな時、テレビの深夜映画で毎週のように放映されていたのが、フランス黄金期の白黒映画。
つまり、「巴里の屋根の下」、「巴里祭」、「リラの門」などといったルネ・クレールの作品や、マルセル・カルネの「天井桟敷の人々」、「北ホテル」。ジュリアン・デュヴィヴィエの「望郷」、「巴里の空の下セーヌは流れる」、などなど。
ニューウェイヴとはちょっと違うものだが、これには夢中になった。
何に夢中になったのか、と言われると困ってしまうのだが、物語とか、セリフとか、そういうことではないのである。まあ、巴里そのものと言えば良いのだろうか。
巴里祭の夜の何気ない広場の雰囲気、主人公が歩く路地裏。他愛もないといえば他愛もないのだけれど、そんな巴里の肌触りみたいなものに惹かれてしまったのだ。

ここで、巴里という表記を使うのは、意図あってのこと。必ずしも気取っているわけではない。とにかく、もう少し読んでください。

それから数年がたち、ついに、その憧れの巴里に住むことになった。
ところが、である。
巴里は白黒ではなかった。
当たり前だ、と笑うなかれ。絵葉書の中にでも入り込むつもりで行ってみると、何のことはない、パリも東京も同じような雑踏で、車の音や人の声が響き、マク ドナルドもあれば、広告の看板もあったりする。マドンナの歌がどこからともなく流れてきたりもする。今なら、きっとヒップホップなんかが騒々しく鳴ってい るのだろう。
実に生々しい街である。私が映画で見た巴里は、一体、どこへ行ったのか?

ひとつ、知ったことがあった。
ルネ・クレールの映画に出てくる巴里、あれは、実はすべて遠近法を多用したセットであるということ。つまり、いかにもパリのどこかに存在する街のように作 られてはいるけれど、実際には存在しない街なのだ。実際には存在しないが、パリよりも巴里らしい巴里。ちょっと難しく言うならば、抽象化された巴里。
フェリーニの映画のローマが、チネチッタ(スタジオ)で作られた、フェリーニの脳髄の中のローマであるのと同じこと。例えば、「フェリーニのローマ」の、 あの見事なローマの下世話な喧騒。あれは、どこにも存在しない抽象化されたローマ。いや、羅馬。

「巴里祭」などといえば7月14日の革命記念日、つまり、1789年のバスティーユ陥落の日を指すわけだが、フランスでは、ただ単に「7月14日」と呼ば れていて、「巴里祭」などという言葉に相当するものは存在しない。これは、1932年のクレールの映画「7月14日」の日本公開に際して、日本の映画会社 が
ひねり出したタイトルである。何と絶妙なネーミング!それから、「巴里祭」という名前がひとり歩きするようになる。「巴里祭」という名前こそ、抽象的な巴里の最たるものだ。ファンタジーですらある。
今でも、7月14日になると、「巴里祭」を祝うフランス好き、いや、仏蘭西好きがいる。恥ずかしいが、私もそのひとり。
しかし、何度も言うけれど、巴里祭などというものは存在しない。7月14日は「7月14日」でしかないのだ。

そう、私は、そんな、実在しない、抽象的な白黒の巴里を見せられ、憧れていたことになる。
でも、実際に訪れたのは、ごつごつとした、天然色のパリ。

クレールの巴里。巴里祭の巴里。
マドンナとマクドナルドのパリ。7月14日のパリ。
これが巴里とパリの違いである。

そして、巴里祭を祝うような多くのフランスかぶれは、今でも巴里をひきずっている。きっとこれからも、抽象化された巴里を頭に思い描き続けてゆくのだろう。繰り返すが、私もそのひとりである。
「巴里の屋根の下、愛しいニニが・・・」「ア〜・パリ〜、ダン・シャ〜ック・フォーブール〜♪」なんてシャンソンを恥ずかしげもなく口ずさんだりするのである。でも、きっと、それは、もう私がパリを離れてしまっているからかもしれない。

天然色のパリは色あせて、再び、私の頭の中で、高校生の頃に観た白黒の巴里に逆戻りしてしまっている。


例えばアジェの写真
 写真家・ウジェーヌ・アジェ(1856-1927)のパリは、ごつごつとした肌触りをその
 まま捉えた、生のパリ。そこに、撮影者アジェの「表現」とか、「視線」などという
 ものは存在しない。
 「つまりアッジェはアッジェ自身のもつあらかじめ定められたイメージにしたがって
 写真を撮ったのではなかった。」と、写真家・評論家の中平卓馬は述べている。これ
 は、批評家・ヴァルター・ベンヤミンがアジェについて「犯行現場写真だ。」と看破
 したことを下敷きにしている。

 反対に、ロベール・ドアノー(1912-1994)とか、ジャック・アンリ・ラルティーグ
 (1894-1986)などのパリは、一度自分のフィルターを通して再生された、抽象化され
 た巴里か。

 ちなみに、アジェは、無意識に撮っていたからこそ、後のシュルレアリストなどにも
 評価され、また彼らに影響を与えたとも言われている。