フランスかぶれの手帖
acteur légendaire
世界のミフネ、大いに吼える!
パリに住んでいると、時々、エキストラの仕事というやつが舞いこんでくる。
映画、ドラマ、CM、イベントなどのために日本人役が必要となった時に、パリ在住の日本人が借り出されるのである。そんなエキストラのためのエージェントもあって、まるで小学校の電話連絡網みたいに、次から次へと紹介の輪が広がるのである。
で、行ってみると、あ、またお会いしましたね、などということもあるから、パリの日本人社会は広いようでいて狭い。もちろん、そんな仕事を引き受けるのは、商社勤めをしているようなまともな方々ではなく、アーティストであったり、学生であったり、ぶらぶらしているような人種ばかりであることは言うまでもない。

その時も、まあ、同じようなシステムで仕事が回ってきた。お題は流鏑馬(やぶさめ)。そう、馬に乗りながら矢を放つ、あれである。と言っても、そんな離れ業をエキストラにやらせるわけはなく、あくまで本番の前後を固める大名行列の一員。実際に流鏑馬を披露するのは、日本からやってくる専門家たちである。その前の年も、流鏑馬の仕事があったから、大体、様子はわかる。
私たちが連れてゆかれたのは、パリから離れたシャンティイの競馬場。年に一度のエルメス杯のレースのアトラクションに流鏑馬が披露される。エルメスというのは、何を隠そう、あの、スカーフで有名なエルメス。もともとは馬蹄を作る会社だったわけ
だから、馬には縁が深い。

まず、侍の衣装に着替える。それにしても、普段、だらしない生活をしている人たちばかりであるから、とてもじゃないが侍には見えず、残念ながら、ほとんどコスプレである。
そして、テントの中に入った。そこで打ち合わせ。中央に広げられた会場図を囲みながら、だから、まさに戦国時代の戦(いくさ)のよう。さらに、上座にあたる場所に、殿様らしき人がどんと構えて座り、地図を見下ろしている。その視線の厳しさは尋常ではない。
おや、この人・・・。

「ねえ、Nさん、あの人、三船敏郎じゃないですか・・?」
私は、隣にいたN氏に耳打ちする。
「まさか。違うやろ。三船はあんなに顔色悪くないで。」
「・・・そうですよね。まさかね。」
しかし、そのまさかだったのである。

流鏑馬軍団の総帥らしき人が入ってきて、挨拶をする。
「こちらは、三船敏郎さんです。三船さんは、昔から、私どもと一緒に流鏑馬をやってこられました。今回、エルメスさんの仕事ということで、お忙しい中を、参加していただいたわけなのです。」
20人ほどのエキストラたちがどよめいた。そりゃそうだろう。三船敏郎といえば、世界のミフネ。「七人の侍」や「用心棒」での、あのエネルギーにあふれた演技はフランスでも圧倒的な知名度を誇る、大物中の大物、伝説の男だ。その伝説の男が、今、目の前に座っているのである。中でも、一番、目の色を変えたのは、N氏だ。何しろ、この人はフランスで役者をやっているから、三船敏郎といえば、その道の大先輩になる。

大名行列は、馬に騎乗した三船氏を先頭に、その後を我々が続く形となり、競馬場内を一周する。貴賓席からは、エルメスの社長も見ている。「トシロー・ミフネ!」のアナウンスに、スタンドが沸いた。

幸運なことに、太鼓を叩く大役をおおせつかった私は、三船氏のすぐ後ろを歩くことになった。ただ、三船敏郎氏、当時は、すでに高齢で、撮影中の事故などもあって腰を痛め、馬に乗るのも辛そうだった。しかし、そこはさすがに名優、決して威厳を失わず、伸びた背筋を崩さず、馬が言うことを聞かなくても、「ドードードー!」と、渋く落ち着いた声を出し、満員の観衆の目をひきつけている。しかし私は見ていた。今にもロデオマシーンと化しそうな暴れ馬を、脇に寄り添っていた調教師が必死で押さえつけていたことを。

アトラクションも無事終了し、私たちは、テントに戻ってきた。一足早く帰っていた殿様役の三船氏はすでに着替え始めている。それにしても、あの風貌である。流鏑馬の仲間だといっても、日本からやってきた人たちはみな若いので、おそらく、一緒に汗を流した世代ではないし、三船氏に近づこうとしない。いや、近づけない、というのか。大御所すぎて声をかけにくいのはわかるのだが、それが、逆に、三船氏の淋しさを感じさせた。
私たちエキストラも、最後に、三船氏と話したい、写真でも撮りたい、と思うのだが、下手をすれば、「無礼者!」などと、切り捨てられそうで怖い。「椿三十郎」のラストシーン、一瞬の居合で血しぶきが飛び出す、あの場面を思い出した。というわけで、何となく気にはなるものの、触らなぬ神に祟りなし、という感じで敬遠していたわけだ。

そんな緊張感を破ったのが、芸術家W氏であった。
とにかく、突飛な素材を使って突飛なオブジェを作る、青い目のフランス人もびっくり、の彼が、すでにほとんど着替えが終わろうとしていた三船氏に近づき、話しかけたのである。
「あの、もしよろしければ、一緒に写真を撮っていただけないでしょうか・・・?」
三船氏が、眼光鋭く、W氏を見据えた。まずい・・・その場が凍りつく。誰しもが、W氏の首が飛び、あたりが血の海になる光景を思い描いて、目を閉じた時、
「・・・わかった。外で待っていてくれ・・・。」
予想外の言葉に、私たちは顔を見合わせた。そして、わくわくしながら外で待った。

すると、しばらくして、何と、着替え途中だった三船氏、再び殿様の格好に戻って出てきてくれたのだ。もちろん、例の威厳はそのままに、「俺を殺す気か・・・!」などという決まりすぎの台詞を口走っている。これじゃ、本当にクロサワ映画である。
私たちは侍の姿で、三船氏を囲んで記念写真を撮った。まさに、殿様を囲む武士たちである。むしろ、私としては、「七人の侍」になったつもりであった。志村喬か、宮口精二か千秋実か、いや加藤大介か、いやいや、それとも農民のひとりか?

その後、私たちは、三船氏にサインをいただいた。満を持して、役者のN氏が話しかけようとしたら、そこへ割って入ったのは、三船氏に記念撮影を頼んだW氏、何と、三船氏に自分の名刺を渡し、「今度、フランスへこられた際には、ぜひ、ぼくのアトリエへ来てください!」などと言っている。何が悲しくて、世界のミフネが、売れない芸術家の汚いアトリエを訪れなくてはならないのだろう。
「おお。」などと言ったかどうだかは覚えていないが、三船氏はうなずくと、そのままテントの中へ入っていった。私たちは、自然と頭を垂れていた。
しかし、ぶつぶつと不満げだったのは、N氏である。
「わしかて、役者で頑張っとるんや。自分のことをアピールしたかったわ。それを、Wさんが横からしゃしゃり出てきて・・・」
まるで子供である。
その時のN氏の怒りはしばらく続いた。

三船敏郎が亡くなったのは、それから、7年ほどしてからである。

N氏は、今でも、役者としてフランスで活動している。ベジャールの舞台や、広末涼子の「WASABI」などにも出演した。私は見ていないが、主演の映画まであるらしい。これも、すべて、あの日の怒りが血となり肉となっているのか。

世界のミフネの記念写真とサイン、もちろん、今でも大事に持っている。