フランスかぶれの手帖
littérature française et ma femme
十八世紀フランス文学と我が妻
私が通っていたパリ第8大学があるのは、パリの郊外サン・ドニ。
駅で言うと、メトロ13番線の終点、「サン・ドニ・バジリク」である。
サン・ドニは、98年にフランスで行なわれたサッカーのワールドカップの決勝戦の舞台としても知られるが、それまでは、何とも殺伐とした郊外の町でしかな かった。でっかいラジカセを肩に乗せたラッパーが闊歩したり、壁に、「喧嘩上等!」とか、「ジルベール参上!」なんて書いてありそうな、そんな街である。

ただ、サン・ドニの大聖堂といえば、ゴシック建築の最古にして最高傑作と言われていて、歴代のフランス王家の墓でもあるし、何とマリー・アントワネットも ここに眠っている。ちなみに、サン・ドニというのは聖ディオニシウスのフランス語読み。3世紀頃にローマから布教にやってきたこの聖人は、パリで首をはね られてしまった。ところが驚くべきことに、自分の首を抱えて歩き出したのだという。そして、倒れた場所が、この場所、のちのサン・ドニというわけ。
ほとんど将門伝説みたいなものだ。

とにかく、そこに、その第8大学はあった。
パリの大学は、13校あって、すべてに番号がついている。有名なソルボンヌ大学は、第4大学というのが正式名称で、文学や哲学、言語学などが中心。そし て、この第8大学も同じように文学や哲学、芸術系の学部があるわけだが、いかにも古臭くて権威的なソルボンヌと違って、いろいろと新しい試みをしているこ とで知られている。そのためか、教授陣も新進気鋭が集まってくる。有名な哲学者である故ジル・ドゥルーズもそのひとりだったし、ジャン・フランソワ・リオ タールもそう。
私の指導教授であったベアトリス・ディディエ教授も、イマジネーションあふれる著作で評価の高かった人。その後、日本でも彼女の著書の翻訳が数冊出版されたし、故澁澤龍彦氏も、その著書(「城」)の中で紹介している。
私も最初はソルボンヌに籍を置いていたのだが、著書を読んで、ディディエ教授に手紙を書き、面接を受け、こちらに移ったというわけだ。
文学だけではなく、同じ18世紀人であるモーツァルトも研究したりしていて、モーツァルト没後200年だった1991年には、随分と急がしそうで、ヨーロッパ中を駆け回っていたようだ。

まあ、とにかく、私は、そこで18世紀文学に関する修士論文を準備していたわけだ。そのためには、時々、教授に会って研究過程を報告したり、アドバイスを受けたり、ということをしなくてはならない。
ところが、論文を準備している途中で、日本に帰ることになり、改めて論文を提出しにくる、という選択をとった。そして、とりあえず、その日が最後の面談日、という日。
大学も最後だから、ということで、妻を連れて行ったわけである。連れて行ったというより、見せに行った、というべきか。もちろん、ここでいう妻とは、かとうみどりのことである。

さて、研究室に続く階段を登っていたら、すぐ目の前にディディエ教授がいたので、慌てて、「妻です。」と紹介した。「おお、マダム、アンシャンテ(初めまして)!」とにっこりとしてくれる教授に、妻も、「アンシャンテ・・・。」などと答えている。
まあ、そこはそれで終わったわけだ。
そのまま、私は教授と研究室に入った。妻は、当然、廊下で待っている。すると、ディディエ教授、「あら、マダムも中にお入りなさい。どうぞ、どうぞ!」と きた。何だか気が進まなかったものの、教授がそう言うものだから、「入れば・・・」と妻を促す。
妻は壁際の椅子に腰をおろし、私は、教授と向き合って、研究の途中報告、そして、これからの方針を説明した。ニコニコと話を聞いてくれる教授だったが、ふ と、私の背後にいる妻に視線が行き、一瞬だけ何かを凝視するような目つきをしたのである。私は、ちらっと妻を振り返った。退屈そうに文庫本を読んでいる。 しかし、その本がいけなかった。それは、マルキ・ド・サドの邦訳書だったのだ。

「馬鹿!先生は、サドの権威だぞ!その人の前でサドの本を読むとは何事だ!」
研究室を辞した私は、開口一番、妻をののしった。
「え、何でよ、別にいいじゃない。それに、日本語の本なんだから、わかりゃしないよ。」
「甘い。表紙の絵を見ろ。そいつは、18世紀当時のサドの本の挿絵から持ってきたものだ。先生には、一目瞭然だ。」
「・・・。だけど、悪いことしているわけじゃないし。私だって、好きでこんな本を読んでいるわけじゃないのよ。他に読む本がないから仕方ないんじゃない!」

それは、その通りなのである。
外国にいると、無性に日本語の活字が恋しくなる。インターネットなど存在しなかった時代である。時々日本から送られてくる雑誌などを貪るように読むように なる。一字一句、丸暗記するくらい読む。ファッション雑誌だろうが、園芸の雑誌だろうが、囲碁の雑誌だろうが、かまわない。
ぼろぼろになった週刊誌が、日本人の知り合いの間で回し読みされる。何ヶ月も前の雑誌が回ってくることも珍しくないが、全く問題にならない。

「アンアンとノンノ、送ったよ。」
と友人に言われ、雑誌が届く日を心待ちにしていた妻が目にしたものは、「週刊プロレス」と「格闘技通信」の表紙のタイトルに黒マジックで×を書き、その横 に、へたくそな字で「アンアン」「ノンノ」とカタカナで書きなぐったものだった。その時の妻の荒れようはなかった。海を越えてくだらないイタズラをした友 人を呪ったものだった。
とにかく、そのくらい、日本語の活字に飢えているわけだ。
そう、それは、わかる、しかし・・・。
何となく恥ずかしい私の気持ちも察して欲しいのである。

2年後、私は、無事に修士論文の提出を終えた。
サドの権威の前で堂々とサドを読書していた妻は、その後、日本でパティシエとなった。
脈絡のない展開ではあるが、人生、いろいろである。

-----------------------------------------------------------------------
 ↓↓↓興味があったら↓↓↓

 ベアトリス・ディディエ「フランス革命の文学」クセジュ文庫(白水社)
 澁澤龍彦「城‐夢想と現実のモニュメント」河出文庫
-----------------------------------------------------------------------