フランスかぶれの手帖
jazz de Paris, Paris de jazz
パリのジャズ ジャズのパリ
vol.1 「枯葉」とサン・ジェルマン・デ・プレ
パリとジャズ。
ジャズといえば何となくアメリカ、それも、ニューヨーク、という気もするし、水と油のようにも思えるが、実は、大いに関係がある。

まず、ジャズの始まりから少し。
ジャズの発祥地は、アメリカのニューオリンズということになっている。いかにもアメリカっぽい風景が頭をよぎるけれど、このニューオリンズという名前、も ともとは、ヌーヴェル・オルレアンというフランス語だった。つまり、新しいオルレアン。オルレアンというのは、かの有名なジャンヌ・ダルクを生んだフラン スの都市の名前。どういうことかというと、18世紀初頭にフランスから移り住んだ人々が作った、フランス人の街なのである。アメリカになったのは、ナポレ オンの時代になってから。
だから、ニューオリンズは、アメリカながら、ヨーロッパ文化が息づく町だったのだ。
この地で、フランス人と黒人との混血は、クレオールと呼ばれた。ヨーロッパのクラシック音楽と、アフリカから引き継がれてきた黒人音楽などとの融合、そんなクレオール文化から生まれてきたのがジャズ。
もともと、ジャズの誕生には、フランスが大きく関係していたというわけだ。

20世紀初頭に誕生したジャズは、すぐさま、ヨーロッパへ渡る。
ベル・エポックのフランスでも、ジャズが流行し、あちこちの地下酒場でジャズの演奏が繰り広げられた。ジプシー・ギターの名手、ジャンゴ・ラインハルト や、パリ生まれのヴァイオリニスト、ステファン・グラッペリらの粋なスウィング・ジャズが生まれた。

そして、第二次大戦後、ジャズは、クラシックからモダンの時代へと突入。
ジャズとフランスの関係はますます深くなってゆく。

例えば、「枯葉」というシャンソンは誰でも知っていると思う。そう、「枯葉よ〜♪」というあれ。作曲ジョゼフ・コズマ、作詞が詩人・ジャック・プレヴェー ルという名コンビによるシャンソンの定番。イヴ・モンタンやジュリエット・グレコなどの歌で有名だが、ジャズ・ナンバーとしても、押しも押されぬスタン ダードだ。オスカー・ピーターソン、ウィントン・ケリー、ビル・エヴァンス、チェット・ベイカー、キャノンボール・アダレイ、そして、最近では、ウィント ン・マルサリス。ヴォーカルもので言えば、ナット・キング・コール、サラ・ヴォーンなどが有名。フランス語でのタイトルは「les feuilles mortes」だが英語では「autumn leaves」。
とにかく、この「枯葉」を演奏するジャズ・ミュージシャンは星の数ほどいる。
評論家の中には、ジャズを知るには、この「枯葉」を聴き比べるべし、という人までいるくらい。

「枯葉」を出世作として有名になったのが、ジュリエット・グレコ。「実存主義者たちの女神(ミューズ)」として、サン・ジェルマン・デ・プレの「カフェ・ フロール」や「ドゥ・マゴ」などといった「実存主義カフェ」に集まる文化人たちのアイドルだった美貌のシャンソン歌手だが、1949年、パリに滞在してい たジャズの帝王・マイルス・デイヴィスと恋に落ちた。わずか2週間、帝王と女神の短い恋。ふたりは、手を取り合って、セーヌ河畔やサンジェル・マン・デ・ プレを散歩し、カフェで、サルトルやボーヴォワールらとも語り合ったという。当時、サン・ジェルマン・デ・プレは、新しい文化やファッションの発信地だっ た。
マイルスにグレコを紹介したのは、サン・ジェルマン・デ・プレのカリスマであり、作家、発明家、など、マルチな天才ぶりを発揮していたボリス・ヴィアン。トランペット奏者としても活躍していたヴィアンはマイルスの大ファンだった。

数年してから、マイルスは再びパリを訪れる。その時に録音された、ルイ・マル監督の映画「死刑台のエレベーター」(57年)のサウンド・トラックはあまり に有名だ。マイルスが映画を観ながら即興で演奏したという伝説が流布しているが、実は、ホテルの部屋で前もって作曲したもので、テイクも何度も録り直して いる。
ヒロインのジャンヌ・モローがさまよう夜のパリの風景にマイルスのクールでけだるいトランペットが重なり、都会的な大人のサスペンスドラマを盛り上げる。
翌年、マイルスは、サックスのキャノンボール・アダレイの傑作アルバム「サムシン・エルス」に参加するのだが、ここで「枯葉」が演奏されて、ジャズ史上に残る名演となり、その後、「枯葉」はジャズのスタンダードとなる。

「枯葉」はグレコの出世作にして代表作。女神との短い恋の思い出が、この時、マイルスの頭をよぎっていたに違いない。この「サムシン・エルス」、実質的にはマイルスのアルバムとされている。
「俺が本当に愛した女は、グレコだけだった。」とはマイルスの言葉である。

  それなのに、人生は、ゆるやかに、音も立てず
  愛し合う者の間を分けてゆく
  そして、波は、いつしか、砂の上の、
  別れた恋人たちの足跡を消し去ってしまう・・・。
           (「les feuilles mortes」)

1950年代は、モダン・ジャズの黄金期であるが、それはフランスでも事情は同じ。若い世代の映画監督が、こぞってジャズを映画に取り入れた。
「死刑台のエレベーター」と同じ57年に作られたロジェ・ヴァディムの映画「大運河」のサウンドトラックはMJQ(モダン・ジャズ・カルテット)が手がけ ている。(アルバムタイトルは「たそがれのベニス」)これは、水の都ヴェネツィアが舞台なのだが、MJQのバロック風のジャズは、見事にヴェネツィアの空 気を表現している。MJQは、アメリ
カ的というよりヨーロッパ的だ。実は、MJQのリーダーであるジョン・ルイスは、熱烈なパリ・マニア。若い頃に訪れたパリの印象を曲にしたのが名曲「afternoon in Paris」だし、その後も、「Pyramid」「Concorde」「Place Vendome」「Versailles」などと、パリの地名をタイトルにした曲を続々と書いている。

ヴァディムには、ジェラール・フィリップ主演の「危険な関係」(1959年)という映画もあるが、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ演奏の主題曲「no problem」はジャズの名曲。きっとどこかで耳にしたことがあるに違いない。18世紀の作家ラクロの原作を現代に置き換えたこの映画に、刺激的なスパイスを加えている。
この映画でも、ヒロインはジャンヌ・モローなのだが、その愛人役としてボリス・ヴィアンが出演している。
しかし、ヴィアンはこの年、心臓発作で亡くなった。まだ39歳の若さだった。

胸を打つ傑作小説「うたかたの日々」(ハヤカワepi文庫)の前書きで、ヴィアンは書いている。人生にとって何より大切なこととは、
「二つのことがあるだけだ。それは、きれいな女の子との恋愛だ。それとニューオリンズかデューク・エリントンの音楽だ。その他のものはみんな消えちまえばいい。」(伊東守男訳)

ヴィアンの死と前後して、サン・ジェルマン・デ・プレはその黄金時代を閉じた。
1960年、グレコは、静かに歌っている。

  サン・ジェルマン・デ・プレには、もう、明日はない。
  あさってもないし、午後さえ来ない。
  あるのは今日だけ・・・。
         (「il n'y a plus d'apres」)


もちろん、パリのジャズはこれで終わったわけではない。
でも、そのお話は、また、次の機会に・・・。

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