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パリの優雅なホテルライフ
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パリのホテルライフ。
何て優雅な響きなのだろう。 プチ・ホテルの、花に囲まれた中庭で、クロワッサンとカフェオレの朝食、朝日の射し
こむ清潔な部屋・・・ そんな部屋で一ヶ月ほど過ごした。
というのはもちろん嘘で、私が渡仏後の一ヶ月を過ごしたのは、ホテルライフというよ
りは、単なる安宿生活、だった。 場所は、カルチェ・ラタンの郵便局のすぐ近くにある「hôtel
Cujas」。一泊90フラン、 当時の日本円に直せば2000円弱くらい。朝食などつくわけがない。私は、シャワーだけ
ついている部屋を選択した。これが私の最大の贅沢であった。トイレは共同、階段の踊
り場付近に作られている。トイレもつけると、もう20フランくらい高くなってしまう。
逆に、シャワーもトイレもなければ、20フランくらい安くなる。その場合、シャワーは
共同、その都度、お金を払って利用する仕組みになっている。 室内は狭く、小さなベッドがあるだけ。それも、スプリングがいかれていて、ベッドの
中心部が人体の形に深く沈んでいる。一度はまると、なかなか脱け出すことはできない
し、寝返りなど不可能に近い。当時はまだ若かったから何とかなったが、今なら、寝転
がって数分で腰を痛めるに違いない。ぎっくり腰は保証つきである。とにかく、歴史を
感じさせる一品であった。
小さな窓からは、狭い中庭が見える。中庭は、数軒のアパルトマンに囲まれているわけ だが、プチ・ホテルの中庭とは違い、暗く、寒々した眺めであった。これは、窓という より、裏窓であり、中庭と言うより裏庭であった。
裏窓からぼけーっと裏庭を眺めてい ると、正面のアパルトマンの裏窓からも、誰かがこちらを見ていて目が合ってしまう。
ほんの数メートルくらいの距離しかないから、お互い、慌てて身を隠し、窓を閉める。夜ともなれば、無数の裏窓から漏れた話し声や歌声が、裏庭に響き渡る。これも、ある
意味、パリ情緒とも言えなくはない。たしかに、一泊くらいならそれも良かろう。
しかし、毎晩だと、実際にはうるさいだけ、やがてうんざりしてくる。
ホテルにはエレベータがないから、5階であろうが、6階であろうが、階段を利用するしかない。
夜、寝ていると、外から帰ってきた宿泊客の靴音がひっきりなしに螺旋階段に 響いている。笑い声がそれに続く。せっかくうとうとしていたのに、また目が覚めて しまうのである。
朝になって、パリの街に出る。場所はカルチェ・ラタンだから地の利はいい。朝食を食
べては部屋に戻り、昼食をとっては部屋に戻る。ベッドメイキングなんてサービス、時々、忘れた頃にやってくれるという気遣いが嬉しい。
こんな安ホテルに、一ヶ月ほど滞在したのである。
さて、このホテル、星はいくつでしょう。
答えは、ゼロ。星なしホテルなのである。 フランスのホテルの星というのは、物理的な施設の有無などでその基準が設定される。
つまり、全室の何%に、にバス・シャワーはあるか、エレベータはあるか、といった具
合。当然、エレベータもバスもトイレもないこのホテルは、基準からすると星なしとな
ってしまうのである。
当時、星なしホテルというのは、カルチェ・ラタンにも数軒あって、一番安い宿だと、
サン・ジャック通りに、確か、一泊50フランくらい、つまり1000円くらい、という物件
があったはずである。ただ、誰もホテルとは思わずに通り過ぎてしまう。その不気味なエントランスに怖気づいて、私も宿泊をあきらめた。

友人が泊まっていたのは、やはりカルチェ・ラタン、「Polidor」という有名なビスト
ロの横の「hôtel Stella」。ここには、なぜか、日本人の長期滞在者が多くて、長くい るものだから、お互いが知り合いになってしまう。私もよく遊びに行っては、大勢で安
ワインをあおり、泊まったりした。泊まるといっても、ホテルには内緒で、である。
友人の部屋は、本来、3人部屋で、ベッドが3つあった。ベッドをひとつだけ使う、とい
うことで、シングル料金だったわけだが、その、空いているベッドで寝るのである。
いつの間にか、私のベッドになってしまった。その部屋には、シャワーもあって、シャ
ワーのない他の部屋の滞在客もよく借りに来ていた。めちゃくちゃである。挙句の果て
には、このホテルに集う滞在者たちで、勝手に、「ステラ学派」なるインチキな学問まで設立してしまった。小林紀晴の「アジアン・ジャパニーズ」(新潮文庫)ではないけ
れど、あの手の、一癖も二癖もある旅行者が集まっていたのだ。
話は「hôtel Cujas」に戻る。
ずいぶん後になって、ここが、幽霊が出ることで有名なホテルだと知った。数年前、お払いをし、改装して、今では、2つ星ホテルとして生まれ変わっている。すっかり様変わりしてしまって、昔の面影はない。
よくよく考えてみると、このホテルで毎晩聴いていた足音、そのうちのいくつかは、幽霊のものだったのかもしれない。 |
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