フランスかぶれの手帖
beaujolais nouveau est arrivé !
ボジョレー・ヌーヴォー!
この15年ほど、ボジョレー・ヌーヴォーの解禁日には、欠かすことなく飲んでいる。
もっとも、ボジョレー・ヌーヴォーをめぐるイベントの歴史は、たかだか40年くらいのものに過ぎない。バレンタインチョコレートと似たようなもので、ワインを売りたい業者が便乗しただけの話。一応、ブルゴーニュ・ワインとはいえ、もともと、安価なワイン。ありがたがって飲むようなものではないし、あくまでも「縁起物」と考えて、収穫したばかりの葡萄を楽しむ、っていうところだろう。


ただ、フランスかぶれの私としては、7月14日の「巴里祭」と11月のボジョレー・ヌーヴォー解禁日には、ワインを飲まなければならない。もちろん、その日以外にも飲むので、そんな言い訳は空しいが、「あれ、また今年もボジョレー・ヌーヴォーか。ついこの前、飲んだ気がするけどな。仕方ないな。ま、一応、飲んでおくか。」などと前置きしてから飲むことにしている。

ボジョレーは気取って飲むようなワインではない。ワイングラスがなければ、コップで十分なのである。コップでゴクゴク飲む、っていうのも、いかにもフランスの田舎町の安いビストロっていう匂いがあって良い。いちいち、コース料理など用意する必要もない。硬いパンとチーズでもあれば、文句はない。
もちろん、グラスを回してみたり、明りにかざして見たり、口の中で空気に触れさせたり、なんていう高等なテクニックも、披露する必要はない。

今年のボジョレーはどうのこうの、などという能書きもご法度である。
フランスに住んでいた頃、3つ星レストランで修業をしていた料理人の友人が言っていた。
「去年と比べて、とかって言いますけど、去年の味なんてもう憶えていないですよね。」
料理人が言うのだから、その通りなのである。
だから、そういう野暮なことは言いっこなしで、今年も無事に葡萄を収穫できました。神様、ありがとうございます、っていうブルゴーニュの農民の気持ちになりきって、楽しく飲むのが、正しい作法というものである。
窓の向こうに、ブルゴーニュの葡萄畑でも広がっていれば言うことないのだが、それは無理な相談というものだろう。

パリのカフェなんかでも、この季節、「beaujolais nouveau est arrivé!!(ボジョレー・ヌーヴォー入荷!)」などというポスターが貼ってある。場末のカフェの汚いテーブルでボジョレー・ヌーヴォーを飲む、っていうくらいのシチュエーションは、わずかな想像力の助けがあれば、再現できそうである。気取ったレストランで飲むよりも、そんなカフェで飲む方が、ボジョレーには合っている。

巴里祭とボジョレー・ヌーヴォー解禁日には、ワインだけではなく、とりあえず、シャンソンを聴くことにしている。これでベレー帽でもかぶれば申し分ないのだが、さすがに、そんなことまではできない。もっとも、ひとりきりならベレー帽くらいかぶっても問題ないのだが、何しろ、他人の目もあるので、自重している。それでも、十分すぎるくらい、時代遅れのフランスかぶれに見られてしまうのは仕方がない。

十数年前、フランスに渡って数ヶ月後の秋。
私は、ようやく安いアパルトマンを見つけ、大家さんに会いに行き、契約をした。16区、セーヌ河まで徒歩1分という、ものすごく高級な場所なのだが、光の射さないこのアパルトマンは格安物件だった。
契約を終えて外に出ると、もうすっかり暗くなっている。メトロの駅に向かう途中で「ニコラ」というチェーンのワインショップを見つけたので、中に入ると、ちょうどその日は、ボジョレー・ヌーヴォーの解禁日、数種類のボジョレー・ヌーヴォーと、ボジョレー以外のヌーヴォーも並んでいた。無事に契約を済ませた記念にかどうか、私は、一番安いボジョレー・ヌーヴォーを一本買い求め、宿に戻ったのである。安いといっても、一本100円程度のワインばかり飲んでいた私にしてみれば、ちょっとだけ奮発したものとなった。
それが、生まれて初めて飲んだボジョレー・ヌーヴォー。
もちろん、味など憶えていない。