| フランスかぶれの手帖 |
| fragments sur Arcueil 2
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ドアノーによるアルクイユ
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サティと私がお隣さんだった街、アルクイユ。
この街を撮っていた写真家がいる。
ロベール・ドアノー。
「市庁舎前のキス」は、あまりにも有名な写真で、誰でも一度は目にしたことがあると思うが、これを撮影したのがドアノーだ。
上の写真は、「アルクイユのエリック・サティの家」と題されているが、そこに写っている風景は、まさに、コーシー街。「サティとサドの街」の、私が写した写真と同じようなアングルで撮られている。 もちろん、ドアノーが真似をしたわけではない。
写真を少し説明してみよう。
画面の手前から延びた道が、真ん中あたりで左右ふたつに分かれている。その分岐点に三角形ともいうべきアパルトマンがあって、壁面に、「aux
quatre cheminées」と書かれている。「四本煙突」という意味であり、これこそが、サティの住んでいたアパルトマンだ。コーシー街34番地である。分かれ道を右に上がってゆけば、フランソワ・ヴァンサン・ラスパイユ街。画面の右端をほんのわずかに下れば、私が住んでいた部屋の窓が現れるはずなのだが、残念ながら、ドアノーは興味がなかったらしい。
写真は1945年に撮影されたものというから、サティが亡くなってすでに20年近くが過ぎている。
ドアノーが生まれたのはパリの郊外ジャンティイ。
ジャンティイは、アルクイユのお隣に当たる。RERで、パリ中心部であるレ・アールから、サン・ミッシェル、リュクサンブール、ポール・ロワイヤル、ダンフェール・ロシュロー、シテ・ユニヴェルシテールといった駅を経て、ジャンティイ、そして、このサティの家に近いラプラス、アルクイユ・カシャンと続く。
ドアノーは、ジャンティイやアルクイユなどの郊外の写真を数多く残している。試みに、ドアノーの写真集を開いてページをめくってみると、例えば、団地のような高層アパートを背景とした焼け跡のような広い空き地で、若い男女が十人あまり、お互いに手をつないで戯れているのがジャンティイだし、また、大勢の人々が小高い土手の斜面に群がり、自転車のクロスカントリーを見物している写真もジャンティイである。
「エリック・サティの窓からの眺め」という写真もあって、これは、アルクイユの街を見下ろす感じで撮られている。サドの「アルクイユ事件」のフォンテーヌ街は、この画面の右手の奥の方ではないかと思うが、ちょっとよくわからない。
アルクイユも、1940年代当時の方が、私が住んでいた80年代よりも何だか賑わっているようにも思える。街角のカフェを俯瞰するように撮った写真では、路上のテラスに人々が集まっている。こんな風景、私は見たことがない。
駅前にはカフェやスーパーがあるものの、数分歩くと、もう、人っ子ひとりいなくなる。アパルトマンにたどり着くまでの十分ほどの間、誰ともすれ違わなかったことも多かったような記憶がある。淋しい街だった。近くの定食屋で何かを食べた記憶はあるのだが、何を食べたのか、その場所がどのあたりだったのか、全く憶えていない。
実際にはそんなことはなくて、人通りもある街だったのかもしれないが、どうも、アルクイユ、私の記憶の中では、ゴーストタウンになりかけている。
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