フレネル街のコンシエルジュ

une concierge de la rue Fresnel
その日は、シャイヨ宮からエッフェル塔を眺め、すぐ脇の道を降りて、フレネル街に入った。通りの左側は壁面になっていて、この界隈が、トロカデロの小高い丘からセーヌ河にかけて斜面になっていることがわかる。
右側には、16区の高級アパルトマンが並んでいる。

私たちは、とあるアパルトマンの前まで来ると、そこで写真を撮った。
2、3枚撮ったところで、中から、ひとりの老婦人が出てきた。私に向かって、ちょっと微笑むように言った。
「誰かお探しですか?」
「いえ、そうではないんですが・・・実は、ぼくは、20年くらい前、ここに住んでいたもので・・・。」
老婦人がはっとしたような顔をして答えた。
「やっぱり!ほら、私ですよ、私も、その時、もう、ここで働いていたんですから!ああ、あなたを見て、ここに住んでいた日本人じゃないかと思って、それで、声をかけたのよ!」
実は、私も、そうではないかと思っていたのだ。
「憶えていてくれたんですね?」
「もちろん!まあ、久しぶり!」

老婦人は、このアパルトマンのコンシエルジュ、つまり、管理人。私は、アパルトマンの扉を出てすぐ横の、路地に面したステュディオに1年半ほど住んでいたのだ。

パリでは、数回引越しをしている。
最初に住んだのが、郊外の街アルクイユ。
続いて、16区のフレネル街。
それから、13区の中華街のはずれ、トルビアック街。
そして、最後に、バスティーユからほど近い、モントルイユ街である。

アルクイユには2、3ヶ月しかいなかったが、フレネル街には、1年半ほどひとりで住んだ。シャイヨ宮と、市立近代美術館に挟まれた静かな通りで、セーヌ河までわずか徒歩1分という高級住宅街だったのだが、浴槽もトイレもついているのに、狭いステュディオで、路地に面した扉以外には窓もない、ちょっと珍しい物件のため、家賃は格安の2000フランだった。日本円にして、4万円といったところ。おそらくその昔は、このアパルトマンの管理人室だったのだろうと思う。それを、ふたつに仕切って、一方を貸しステュディオに、そして、一方を、そのまま管理人室として残したのではないか。当時の管理人室は、路に出てすぐ右側にあるアパルトマンの正門を入ったところにあって、つまりは、出入り口こそ違うものの、私の部屋とは隣接していたのである。

扉の雨戸を閉めてしまうと、光さえ射さない、真っ暗な部屋で、当然、郵便受けなどといった洒落たものはなく、郵便物は全て管理人のおばさんが受け取ってくれていた。その訛りからして、アパートの管理人には多い、ポルトガル人だったのではないかと思う。

「元気?今、日本に住んでいるの?」
「ええ、もう、フランスを離れて、15年くらいになります。」
「あら、そうなの!日本はどう?フランスよりいいでしょ?」
「さあ、それはどうでしょう・・・。でも、フランスは、物価も高くなって大変ですね。」
「それは、もう、ひどいものよ!」
おばさんは、おおげさな身振りでそう言い、話を続けた。妻が、おかしそうに、私たちの様子を見ている。

「あれから、ここも日本人が増えて、今は、この上に、2人住んでいるわ。」
「ぼくの住んでいたステュディオには・・・?」
「今住んでいるのはフランス人よ。」

ほんのしばらくの間だったが、立ち話をした。
「今日は、久しぶりにお会いできて、とても嬉しかったです。」
「あなたも元気でね!」
「さようなら。」

私たちは、おばさんに別れを告げて、フレネル街を離れた。

すぐ近くのドゥビイ橋の上でセーヌ河を眺めた。
フレネル街に住んでいた頃、夜になると、ふらっとこの橋の上に来て、同じようにセーヌを眺めていたことも思い出した。

妻がよけいなことを言う。
「おばさんさ、あなただと思ったわ、みたいなこと言っていたけど、そんなことないと思うね。」
「いや、そんなことない。おばさんは、憶えていてくれたんだ。」
「ぜ〜ったい、憶えてなんかないって・・・。」
「いや、憶えていた。」
「ま、そう思っていた方がいいか。」
さっき、おかしそうに私たちを見ていたのは、こんなことを考えていたからのようだ。

コンシエルジュのおばさんが本当に私のことを憶えていてくれたのかどうか、それはわからないけれど、20年近く過ぎた今でも、こうしてこの場所にいてくれたことがとても嬉しかった。今でも、このステュディオの住人の郵便物を受け取っているのだろう。
やはり、「パリ時間」というものはあるのだ。私の見る限り、おばさんはほとんど年をとっていないようだ。すべてが20年前のままだ。私が今、ここを訪れるまで、フレネル街はずうっと眠ったままだったとしても不思議ではない。

アルクイユ、フレネル街、トルビアック街、そして、モントルイユ街、住んだ街それぞれに沢山の思い出と思い入れがある。どの街も故郷みたいなものだ。ひとつひとつを訪れては、思い出がよみがえり、その思い出が現在と結びついて、時間はひとつにつながる。パリに住んでいたという過去は、もう過去ではなくなるのだ。いや、過去とか、現在とか、そんな時間の流れというものがどこかへ消え去ってしまう。時間に関係なく、パリにいる自分、それだけが残る。

次にここに来るのはいつになるのだろう。このような感覚は、この先、10年たっても、30年たっても変わらないのだろうか。

橋を渡って左岸へ。
妻のお目当て、15区のお菓子屋「ジャン・ミエ」までは、歩いて10分ほどである。


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