その後の移動祝祭日

東京へ戻ってきた。
帰国翌々日から教室を再開する。

東京での生活が、また当たり前のように始まり、パリにいたことなど忘れかけている。
不思議なもので、パリにいる時にはパリにいることに何の違和感も感じなかったのに、東京に戻ってしまうと、今度は、それが嘘のように思えてくる。
もっとも、よくよく考えてみれば、不思議でもなんでもないのかもしれない。パリの路上を歩いていれば、パリの街はまぎれもない現実なのだから、それが夢だとか何だとか考えるひまもない。ただ、ただ、目の前の街を歩くだけ、それだけだ。
自分が、その時にいる場所、それだけが現実だ。これは夢ではないのか、などと、本当に頬っぺたをつねるなんて、実際には、誰もやっていない。本当に夢を見ている時でさえ、それが夢であることに気づかないことがほとんどではないか。

フランスに渡る前は、ルネ・クレールのパリをパリだと考えていた。高校生の頃に観た「巴里の屋根の下」「巴里祭」「リラの門」などに影響された。まさに、白黒の「巴里」である。しかし、実際に目の当たりにしたパリは、もちろんのこと、天然色で、雑音もあれば、匂いもある、生の現実が否応なしに入りこんでくる街だった。当たり前なのだ。何しろ、クレールの「巴里」は、スタジオに作られたセット、いわば、抽象的な巴里なのだから。現実のパリは、映画のスクリーンの中に存在するのではなくて、目の前に、逆らいようもなく広がっている。いつ、どこで、誰が始めたとか、作ったとか、そういうものではなく、気がつけばそこにあって、私が何をしようと、勝手に動き続けている。

クレールの巴里は、映写機が回り出して初めて動き出すものだろうが、現実のパリは、今、こうして、こんな文章をうだうだと書いている最中にも、地球の裏側で、泣き、笑い、怒っているのだ。私のことなど全く関係なく、動き続けている。それが現実だ。
それなのに、数年ぶりにパリを訪れても違和感を感じず、取り残された感じがしないのは、パリにそれほど大きな変化がないからだろう。もちろん、トルビアックが変貌した、とか、ベルシーがどうの、とか、多少の変化はあるには違いないのだが、東京のそれの激しさに比べれば微々たるものだ。19世紀における、セーヌ県知事オースマンのパリ大改造以降、この街の骨格は、ほとんど変わっていない。だから、たかが数年くらいのブランクなどどうってことないというのは当然といえば当然かもしれない。それが、パリの面白さ、怖さだろう。まるで、自分のために変わらずにいてくれた恋人のように錯覚してしまうのだ。

5年間をパリで暮らした。
暮らす、生きる、という行為は、どこの街であろうが同じことだ。呼吸をし、歩き、人と会話をし、目に飛びこんでくる風景を、見たり、見なかったり。その繰り返しだ。
最初は物珍しかった街も、すぐに当たり前の風景に変わる。そのうち、パリにいるとか、東京がどうとか、とか、そんなことは考えなくなる。それが生活というものだ。パリに暮らしている時は、改めて、パリについて考えることもない。いや、もちろん、パリの物価がどうとか、パリの天気がどうとか、パリのお役所仕事の怠慢ぶりがどうとか、そういうことについては、ああだこうだと言ってみるが、括弧つきの「パリ」そのものについてなど考えをめぐらしたりしないものだ。

一度パリを出て、その外側から見ているからこそ、見えてくるもの、考えられるものもある。生活というものを離れて無責任にパリを眺めるからこそ見えてくるものがあるのだし、パリにいないからこそ考えられるものがあるのだ。遠距離恋愛みたいなものかもしれない。パリから離れてパリを考えることは、そのまま、自分にとってのパリを考えることであり、ひいては、自分自身と向き合うことであるかもしれない。
お腹がすいている時、目の前にパンでもあればかじりつくことができるが、何もなければ、ああだこうだと絵に描いた餅で空腹をしのぐしかない。挙げ句の果てには、「食料とはなんぞや」「何故、自分は空腹になり、食べ物を欲しているのか」「人は何故、料理をするのか」などということまで考え出す。満腹であれば、きっと出てこない疑問である。常にご馳走にありつけたとして、それでも、こんな問題を突きつめてしまうほど、私はまじめな人間ではない。

「故郷は遠くにありて思うもの」と詠んだのは、確か、室生犀星だった。
故郷と言ってしまってはどうかとも思うが、とにかく、パリは遠いものになってしまった。次に訪れるのは何年後なのだろう。いや、もしかしたら、もう、訪れることはないかもしれない。そんなことを時々思ってみる。少なくとも、もう、パリで暮らすことはないだろう。どこまでも旅行者でしかないのだ。

しばらくはまた傍観者として、括弧つきの「パリ」、そして、「巴里」について考えてみるとするか。
パリから遠く離れ、時間がたっても、パリについて考えをめぐらすことはできる。いや、考えずにはいられない。
なぜなら、パリは「移動祝祭日」だからだ。

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