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| ■ 移動祝祭日 |
| a mouveable feast |
| 「決めた、パリへ行くことに決めた!パリへ行こう!」 昨年の12月、暮れも押し迫ったある日の午後、妻が突然、そう言い出した。 「え?何、何だって?・・・どうして・・・?」 「1月の後半、ここを逃したら、もう、二度と行けないと思う。行くか、行かないか、今日中に返事して!」 いつもの調子である。 自分では、きっと自身の中で、それなりの経過を経て、パリへ行くということに決めたのだろうが、こちらにしてみれば寝耳に水である。ドン・キホーテに買い物に行くわけではあるまいし、今すぐ決めろ、といって、すぐに決められるものでもないだろう。行きたいのは山々だが、何しろ、パリは遠い。お金もかかるし、時間もかかる。教室だってあるし、子供たちだって、母親に頼んでいかなければならない。あわててしまうのは当然だ。 ところが、単純な私は、あっさりと「よし、行こう!」と、返事をしてしまった。 そして、あわただしく航空券の手配をしたのである。 そして、年が明けて2007年になった時、私は、自分がフランスに渡った1987年からちょうど20年たっていることに気づいてしまった。これには、ちょっと驚いた。私がパリに住んでいたことなど、もうとっくに昔話なのだ。教室で偉そうに、フランスだ、パリだ、と語ったところで、そんなもの、過去の話ではないか、と。 時代は変わって、フランスは、EUの一部となり、貨幣もユーロに統一された。 それでも、まだ、私は、フランスだ、パリだ、と、そんなものをひきずっているのだろうか。パリは、果たして、今でも、私が知っているパリそのままなのだろうか。 そんなことを考えるようになった。 ヘミングウェイは、その青年時代の数年をパリで過ごした。後年、友人に宛てて、こんな言葉を贈っている。 きみが幸運にも青年時代に パリに住んだとしたら、 パリは一生きみについてまわる なぜならパリは移動祝祭日だからだ パリという街について、これほど見事に語った言葉も少ないと思う。 特に、パリに住んだことのある外国人にとっては、とても説得力のある言葉だ。 同じようなことを、1930年ごろにパリに滞在した金子光晴が、自伝「ねむれ巴里」の中で書いている。 「いや、そういう馴々しさでひきつけるのがパリのかまととの手練女のような媚かもしれない。この街は不思議な街で、くらいモスコオから、霧のエコスたち(スコットランド人)の住む国から、アビシニアから、テヘランから、あつまってくる若者たちを囚虜にし、その若者たちの老年になる時まで、おもいでで心をうずかせつづけるながい歴史をもっている、すこしおもいあがった、すこし蓮っ葉な、でも、はなやかでいい香いのする薔薇の肌の、いつも小声で鼻歌をうたっている、かあいいおしゃまな町娘とくらしているような、それで、月日もうかうかと、浮足立ってすぎてしまいそうなところである。」 私も、幸運にも、青年時代の5年間をパリで過ごしたわけだし、きっと、一生、パリについてまわられてしまうのだろう。それは、妻だって同じことだと思う。実際、パリについてまわられて、フランス菓子なんてものを始めてしまったではないか。妻のお菓子作りを見ていると、パリやフランスというものが、何となく肌にしみついているような気もする。 そして、これから先、パリは、どうやって、私たちについてまわってくれるのだろうか。 出発が近づくにつれて、少しずつ、不安が増してきた。 私たちが知っているパリは、そのままなのだろうか、という、何でもない疑問が、不安を生み出していったのだ。その気で近づいていったら、パリは、さっと背を向けてしまうのではないか、知っているはずの路地は、私たちを冷たく拒絶してしまうのではないか。久々のパリに違和感を感じてしまうのではないか。 もし、これが、初めて訪れる街、例えば、イスタンブールでも、上海でも、ニューヨークでもいいのだが、そんな場所だったら、この手の不安は抱きようもない。治安は大丈夫か、とか、物価は高いのか、とか、せいぜい、そんな現実的な不安を抱くだけのことだろう。 しかし、なまじ知っているパリという街を久々に訪れるという時、何かと複雑な感情に見舞われてしまうのは、やはり、パリについてまわられている証でもある。 久々のパリを訪れる期待と、不安。 そのふたつを交互に感じながら、私たちは、出発の日を迎えた。 ■ 「移動祝祭日」 アーネスト・ヘミングウェイ (岩波同時代ライブラリー)。 ■ 「ねむれ巴里」 金子光晴 (中公文庫) |
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