![]() |
||
| ■ ビストロ主義宣言 |
||
| vive les bistrots! | ||
| パリでは、星つきレストランなどには行かないことにしている。一番の理由は、もちろん、先立つものがないということだ。では、先立つものがあったとして、そんな店に行くのかというと、それでも行かないような気がする。 私は、昔も今も、ビストロ主義者である。 パリへ行く、とする。当然、おいしいものを食べたい、と思う。これは、誰でも同じことだろう。だからといって、旅行前に、本や雑誌などでレストラン情報などを丹念に収集したりはしない。行ってから決めればいい、と思っているのだ。 わざわざ、遠い街まで足を延ばすとか、そういうこともしない。本来、ビストロとは、そういうものではないようが気がする。その時、自分が住んでいたり、投宿している界隈で、ぶらっと入るのがビストロだろう。もちろん、パリのビストロと言ったって、おいしい店もあれば、まずい店だってある。それは覚悟の上だ。おいしかろうが、まずかろうが、そのすべてを引き受けるしかない。セ・ラ・ヴィ、それも人生なのであり、パリの味わいである。料理だけを抽出して、あれこれケチをつけたところで、何の意味もない。美味しいものも、まずいものも、ある。そして、それが、フランスを知ることでもある。 それにしても、ビストロの定義、ということになると、一筋縄ではいかない。レストランとビストロ、はっきりと線引きが出来るようなものでもないのだ。 Petit LarousseやPetit Robertなどのフランスの辞書をひいてみると、たいがい、「酒を売る店」とある。ビストロが、おうおうにして「居酒屋」と訳されるのは、そのためだ。確かに、かつてビストロは、酒を出す店としてとらえられていた。 故辻静雄氏によれば、ビストロの定義とは、酒を飲むところであることはもちろん、「簡単な料理を食べられるし、コーヒーも飲める、ビリヤードもできる。」として、「レストランというのは、どちらかというといくらかいい店、ビストロというのはあまり豪華じゃないといういいかたをすることがあります。しかし実際には、必ずしもそういう区別をつけることもなく、ビストロと名乗りながら、店構えから料理、サービスもきちんとしたお店もあります。」(「新・パリの居酒屋」)と続けている。結局、ビストロとレストラン、その違いは明確にはされていない。 ![]() 玉村豊男氏は、「要するにビストロというのは、店の形態による分類というよりは、ある特定の雰囲気を指し示す言葉なのだ。」とし、「結局、ビストロを定義する十分条件は、店(主人)の個性と客の個性のコミュニケーションであり、それがうまくいって本当にその店が自分の故郷であり、広場であり、個室であるように感じられた瞬間に、『これがビストロだ!』とヒザをたたいて納得する、といったかたちでしか定義できないわけだ。」(「パリ 旅の雑学ノート」)と書いている。 つまるところ、ビストロという物理的な装置が存在するわけではなく、あくまでも、店と客との関係性の中に、ビストロが存在するということだろう。あえて言うならば、高級レストランの「非日常性」ではなく、ごくごく普通の客がごくごく普通の姿勢で入る、「日常性」をつかさどる店だ、ということかもしれない。料理も、十年一日のごとく作られてきた地方料理や家庭料理、決して手は込んでいないが、ていねいに作られたものを出してくれる。だから、ビストロに着飾って出かけることはむしろ場違いなことになる。一杯ひっかけるような気持ちで、ぶらっと入る、それがビストロだ。フランスの、パリの日常がそこにはある。 何でもない、古臭いビストロが好きだ。 最先端の料理も、かゆいところに手が届くサービスも、華やかな空気もないかもしれない。しかし、大盛りの定番料理と、「さあ、食った、食った!」と言わんばかりの質実剛健なサービス、そして、決して気後れする必要のないざっくばらんな空気がある。 あとは、安ワインなんかを開けたりして、ゆっくりと、食事を、そして、会話を楽しめばいい。マナーがどうとかこうとか、エチケットがどうのとか、考える必要はない。紙ナプキンや、チェックのクロスを敷いただけの簡素なテーブルの上に、カトラリーも適当に置いてあるし、最初から最後まで、同じフォークやナイフで食べるなんていうことも少なくない。 隣の席で、仲の良さそうな老夫婦が、ワインを飲みながら、ブッフ・ブルギニョンなどをおいしそうに平らげてゆくのを見ているのも、実に楽しい。気になる料理があったら、「それ、何ですか?」などと、気軽に訊いてみればいい。きっと、「これは、○○ですよ。この店はおいしいですよ!」と答えてくれるだろう。
ビストロには、食べる楽しさ、飲む楽しさ、そして、おしゃべりをする楽しさが、沢山つまっている。がやがやとした雑踏そのものが、ビストロのBGMなのだ。 ビストロとは、よくよく考えてみると、どこへ行っても同じなのかもしれない。どの店へ入っても、デジャヴュを覚える。繰り返すが、星つきレストランが「非日常」の場だとすれば、ビストロは、「日常」。店からの「bonjour!」という同じ挨拶、レストランが「いらっしゃいませ!」だとすれば、ビストロでは、「お帰りなさい!」と言っているような気さえする。 ビストロへ行く、ということは、その空気に、自分のすべてをまかせてしまうことだと言えるだろう。大げさに言うならば、自我の消失だ。まるで、露天風呂に入って、風景に身を任せてその一部となってしまうように、ビストロの懐に抱かれて、その一部となってしまう。高級レストランではこうはいかない。 私たち旅行者にとっては、フランスのごくごくありきたりな日常の風景に入り込み、その一部となってしまえる、そんな場所でもある。 私は、生涯、ビストロ主義者であり続けたいと思う。 ■ 「新・パリの居酒屋」 辻静雄 (新潮文庫) ■ 「パリ 旅の雑学ノート 2冊目」 玉村豊男 (新潮文庫) |
||
| NEXT |