昭和のお菓子
short cake
原節子のショートケーキ
 「まあ、立派ねえ、とてもおいしそう。いくら、これ?」
 「900円。」
 「900円、これが...!」


小津安二郎が昭和26年に撮った映画
麦秋で、原節子と兄嫁の三宅邦子が交わす会話である。一体、何の値段について話しているのかと言うと、実は、これが、ショートケーキなのだ。原節子が買ってきたホールのショートケーキを見て、三宅邦子が尋ねる場面である。
ちなみに、ショートケーキは、千疋屋のものらしい。

それにしても、900円という値段は、一体、当時の物価からいうとどれくらいのものになるのだろう。
戦後値段史年表」(週 刊朝日編)を見ると、昭和26年における小学校教員の初任給が5050円である。さらには、山手線の初乗り運賃が10円、そして、上野ー青森間の運賃が 720円。これではわかりにくいかもしれないから、同じ洋菓子としてシュークリームを例に挙げてみると、ひとつ10円、とある。(「新・値段の明治大正昭和風俗史」週刊朝日編)
そう考えてみると、900円とは現在の感覚でいうと、1万円以上の値段だということになりそうである。どちらにせよ、庶民にはおいそれと手の出せない高級品であることは間違いない。

実際、900円という値段を聞いた三宅邦子は、すっかり腰が引けてしまい、「
あたし、食べるの嫌になっちゃった・・・」と嘆いてみせる。そこへ登場するのが、近所に住む二本柳寛であり、ケーキの値段など何も知らない彼は、「いいところに来ちゃったなあ。」などと言いながら、二人の目の前でおいしそうにぺろりと平らげてしまうのだ。高級品だとは想像がついても、まさかそこまで高いものだとは見当がつかなかったのだろう。「こんなの、お宅じゃ、ちょいちょい召し上がるんですか?」などと、呑気なものである。

ショートケーキというものが、実は、日本で作られたお菓子である、ということは、お菓子好きの人たちには常識となっていると思う。ショートケーキという お菓子はフランスにもイギリスにも存在しない。お菓子の歴史に詳しい吉田菊次郎氏によれば、ショートケーキの発祥については諸説考えられるものの、その原 型が誕生したのは、「
昭和の初めから11年のいくらか手前頃までの間」らしいということである。コロンバンの職人であった門倉国輝という人物が、フランスでの修業を終えて帰国した後、試行錯誤の上に、日本人向けのケーキを作り出したのが、それではないか、というのだ。(「西洋菓子彷徨始末」朝文社)いずれにしても、昭和の時代に生まれたお菓子であることに間違いはなさそうだ。

 「日本のブリア・サヴァラン」などと称される村井弦斎の著書「
食道楽」 (筆者の所持しているものは新人物往来社刊)は、明治30年代に「報知」に連載された、その時代の料理のエンサイクロベディアであるが、この本には、 ショートケーキという名前を見つけることはできない。シュークリーム、バターケーキ、チョコレートケーキ、コーヒーケーキなどのレシピが紹介されているこ とを考えると、今の私たちには不思議でならないが、つまりは、まだその頃には、ショートケーキというものは存在しなかったとすれば、ごくごく当たり前のこ とだろう。

 実は、ショートケーキをその代表とする生菓子が一般家庭に普及してくるのは、戦後10年ほど経てから、つまり昭和30年頃の話である。冷蔵技術の発展が その大きな要因となっている。今では当たり前のものとして存在しているケーキ屋の冷蔵ショーケースや、買ってきたケーキを保存する冷蔵庫が普及期に入るの がこの時代なのだ。
 驚くべきことだが、昭和27年における国内の冷蔵庫生産台数は、全メーカーでわずかに3589台だったそうである。(「
台所から戦後が見える」朝日新聞学芸部)これでは、せっかく買ってきた生菓子を置いておくことはできないというわけだ。

現在のように本格的なフランス菓子など存在しなかった頃、洋菓子、生ケーキというと、何よりもショートケーキだった。間違いなく、ケーキの代名詞だった のだ。白いクリームの上に赤いイチゴ、というミニマルなレイアウトは、簡潔にして完璧でさえあった。そして、フランスもイギリスも知らない少年少女にさ え、充分にモダンな香りをふりまいていたのである。
昭和の時代の少年少女は、ケーキといえば、ショートケーキしか知らなかったとさえ言える。

酒好きの友人がいて、辛党・甘党、などという区別に従えばもちろん辛党ということになるのだが、案の定、彼は甘いものはほとんど食べない。ところが、 ショートケーキだけは食べられると豪語するのだ。いや、つい食べてしまうらしい。おかしなものだが、わかるような気がする。近頃の、見た目にも豪奢なケー キにはちょっと馴染めなくても、ショートケーキなら安心するのかもしれない。シンプルで、懐かしくて、思ったとおりの味だから。何よりも食べ馴れている ケーキなのだ。
クリスマスケーキもバースデーケーキも、とにかくショートケーキ、そんな時代があったのである。

麦秋」のさらに2年前、つまり昭和24年、家族の日常を淡々と描写する、いわゆる小津調を確立した作品として知られる「晩春」にもショートケーキは顔を見せる。父親・笠智衆の再婚話を面白く思わない原節子が、友だちの月丘夢路の家を訪ねる場面である。月丘夢路はちょうどショートケーキを作ったところだと言って、紅茶と一緒にもてなす。洋風のモダンな部屋である。
 「ヴァニラをちょっと入れ過ぎちゃったかな・・・」などというこの女友達のおしゃべりを、原節子は聞く余裕すらない。ステノグラファーになろうかな、な どと口走っては、月丘夢路に頭ごなしに否定され、結婚しちゃえば、と返されて、口論となってしまう。しまいには、出されたショートケーキにも紅茶にも手を つけず、その場を飛び出してゆく。
 昭和24年にショートケーキを手作りしている、ということにまず驚かされるのだが、監督の小津安二郎のモダンぶりは有名で、公開された日記やメモをひも といてみると、柏水堂に行っただの、精養軒で何々を食べただの、という、現代のグルメも顔負けの記述が数多く見られるから、きっと、ケーキにもうるさかっ たのだろう。「
秋日和」や「小早川家の秋」などといった作品でも、原節子はユーハイムのお菓子を買っていたりする。実際、小津はユーハイムがお気に入りだったようだが、映画で好んで使ったのは、包装紙の赤いワンポイントが、いかにも小津映画の美学に合っていたからではないか、という気もする。

「麦秋」の最後、砂丘でのシーン、結婚の決まった原節子に向かって、三宅邦子は言う。
もう、食べちゃ駄目よ、ショートケーキ。
すると、原節子は、「
当たり前よ、あんな高いもの。でも、貰ったら食べる!」と答える。結婚すれば家計をやりくりすることが大切、そういうことだろう。ショートケーキなど、贅沢のきわみ、ということだ。

そして、時代は平成となって、デパートの地下売り場などに行けば、一度に何十種類、いや、百種類を越えるケーキを目にすることが出来る。私の少年時代にはとうてい考えられなかったような華やかさである。
ところが、平成生まれのふたりの娘を連れてケーキを選ばせてみると、「ショートケーキ!」と、声を揃えて、見た目も鮮やかなケーキなどに目をくれないこ とが多い。イチゴに目がゆくのか、真っ白なクリームに惹かれるのか、それはわからないが、時代が新しくなり、どんなに芸術的で美しいケーキが増えようと、 ショートケーキは子供たちにとって一番魅力的なケーキであることに変わりはないらしい。
 「何だ、またショートケーキがいいの?」
などと言いながらいそいそと買って帰るショートケーキ、原節子の時代でも、現代でも、変わらない魅力を放っているらしい。